データマンとしてのブロガー

2009/9/8-2

以前、「編集でブログ記事が生まれ変わった」という記事を書きました。

その記事は、ブログ記事を正規メディア用の記事として再校正するときに「編集」という作業が入る事によって大きく記事全体が生まれ変わるという事を、実際のブログ記事と掲載されたメディア記事の両方を並べることによって示すというものでしたが、記事中の考察部分で「ネット編集長」の可能性について書きました。

ネット編集長

ブログから「面白い記事」を発掘し、オンライン媒体へと売り込むなどの仲介作業を専業とするような組織があれば面白いかなぁと思うことがあります。例えば、AMNだけを見ても毎日結構な数の記事がパートナーブロガーによって書かれています。しかし、ほとんどの記事は一度オンラインに掲載された直後に「消費」され、その後は検索エンジンの肥やしになるという流れが多いと感じています(他の方の記事よって参照されるなどもあります)。

無数のブログ記事から面白そうなものを拾い集めて、記事がフィットしそうな既存メディアへと記事を紹介したり、執筆を仲介する作業を専業でやる組織があれば、ブロガーも既存メディアも重宝するような気がしています。既存メディアはネタを探す手間を省け、ブロガーは過去に書いたどの記事がどのメディアにフィットしているかを考えずに済みます。

また、例えば「○○特集」というような企画を既存メディア側が考えているというような情報は記事執筆者が決定するまで公開されないことが事が多いので、ブロガー側にはどうしようもありません。適度に「間に入る」ような組織があれば、もっと様々な人々が既存メディアで記事を書けるようになるのかも知れません。

その後、何人かの方々に、この構想を相談しているのですが、どうもピンと来ないようです。 例えば、「編集者がメディアと中間に二人入ると船頭が多くなってしまうのではないか?」という懸念や、「間に人が入るのって無駄では?」とか、「メディア側の編集者とフリーのネット編集者の意思疎通が既に構築された状態でないと難しい」という意見がありました。

色々伺っていると、徐々に「ネット編集者」という言葉が悪いのではないかという事がわかってきました。 「ライターが二人になるという表現だとどうですか?」というと、「その二人で意思疎通が出来るならOK」という感じで、すんなり納得してもらえる場合がありました。

メディア記事から見た場合、ブログ記事があくまで「ラフな原稿」であるとか「素材」であるとか「原石」であるというイメージになることが多いと思われます。 その「素材」を各メディア媒体と読者層に合わせた再校正を行ったうえで、文章全体を生まれ変わらせないと「メディア記事」にはならない事が多いと、私は感じています。

そう思うと、この場合のブロガーって「ライター」ではなく「データマン」なのかも知れません。 オンラインのライターが文章を書くための「データ」もしくは「素材」としての「ブログ記事」があり、ライターが「データ」を料理してメディア原稿を作って納入するという説明だとしっくり行く気がしてきました。

ネット編集長ではなく、ネット上にあるブログ文章を再校正してメディアへと提出するライターさんですね。 データマンであるブロガーが日々「生データ」としてブログ記事を生産し続けるので、ライターさんはブロガーの許可を得つつ、自分なりに料理してメディアへと提出という流れです。

「編集 vs 編集」という構図を連想させてしまう表現になると、「誰に文章全体の決定権があるの?」という感じになるのかも知れません。

さて、この構想を実現できるのはいつ頃になるでしょうか。。。 何か一歩ずつ進んでいる気はするのですが。。。 がんばります。。。

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