「女性は生まれつきエンジニアに向かない」と元Google社員は主張していたのか?

2017/8/9-1

Google社員が「女性は生まれつきエンジニアに向かない」という社内文書を作成したというニュースが話題になっています。

そこには、以下のように書かれています。

ダイバーシティ重視を打ち出しているのにエンジニアの女性比率がなかなか上がらないGoogleさん。男性エンジニアが「だって女性はエンジニアに向いてないんだよ」という社内文書を公開して大騒ぎ。

この騒動は世界的なニュースとなり、社内文書を作成したGoogle社員は解雇されました。

BBCの記事には、以下のように書かれています。

ピチャイ氏は、グーグル社内で表現の自由を守る重要性について行数を割き、「文書に書かれた内容の多くは、議論に値するものだった。グーグル人の大半が賛成するかしないかは関係ない」と強調した。 しかしその上でピチャイ氏は、「とはいえ、同僚の一部が、生まれつき仕事に向いていないなどと示唆するのは、不愉快で不適切だ」と批判した。「我々の基本的な価値観や行動規範にもとるものだ。この会社の行動規範は、『すべてのグーグル人が最善を尽くして、いじめや威圧や偏見や違法な差別のない職場文化を作る』よう求めている」。

GoogleのピチャイCEOも、「文書に書かれた内容の多くは、議論に値するものだった。」ということは認めているわけです。さらに、「とはいえ、同僚の一部が、生まれつき仕事に向いていないなどと示唆するのは、不愉快で不適切だ」という表現になっており、明示的に「女性は生まれつきエンジニアに向かない」と書いたわけではなく、そのように解釈も可能であるように示唆したことを問題視しています。

原文を読んでみる

では、実際に何が書かれていたのでしょうか?英語による原文が、GIZMODOで公開されています。

原文を読みつつ、ITmediaの記事を読んでみると、ITmediaの記事が多少煽り過ぎに思える部分もあります。たとえば、ITmediaには以下のように書かれています。

本人は自分が完全に正しいと思っていて、エンジニアらしく整然と書いているようですが、そもそも「女性はコーディングに向いていない」とか「女性の方がストレスに弱い」とか「女性は協調性がありすぎて競争しようとしない」とか、なぜ確信を持って言えるのか根拠が不明です(個人的には周囲を見ると女性の方が図太い人が多い気がする)。

このうちの「女性の方がストレスに弱い」は、実際にそういった表現を発見できました。

「女性は協調性がありすぎて競争しようとしない」は、発見できませんでした。原文に「competitiveness (競争的)」という単語があったのは、より多くの女性エンジニアが働きやすくするための改善案を提案している部分いおいて、最近Google社内であった変更が女性の協調性を活かす効果もあるのではないかとしつつも、もっとできると書いている文章の後で、「ただし競争的な部分をGoogleから全部排除した方が良いとは考えていない。」という内容でした。

ITmediaの記事タイトルにもなっている「女性はコーディングに向いていない」に対応する原文は、以下だと思われます。

Personality differences


Women, on average, have more:
  • Openness directed towards feelings and aesthetics rather than ideas. Women generally also have a stronger interest in people rather than things, relative to men (also interpreted as empathizing vs. systemizing).
  • These two differences in part explain why women relatively prefer jobs in social or artistic areas. More men may like coding because it requires systemizing and even within SWEs, comparatively more women work on front end, which deals with both people and aesthetics.

このうちの「More men may like coding」が、「女性はコーディングに向いていない」と解釈されて日本語の記事になっているように思えるのですが、これは「男性の方がコーディングを好む」という話であって、「向いてない」ではないのです。

上記の文章は、向き不向きの話ではなく、選ぶか選ばないかの話です。

女性がどのような仕事を好むのかという研究もありますが、上記は、そういった研究結果を念頭に書かれているのではないかと思いました。 そういった研究の例としては、たとえば、2015年Telegraphの記事に次のようなものがあります。

この記事のタイトルは、「女性は"やりがい"がある仕事を選ぶことでキャリアオプションを狭めているという研究結果」というもので、副題が「But boys go after the big salaries, Oxford University research has revealed / 逆に、男性は大きな収入を求める、オックスフォード大学の研究結果より」とあります。

10年前にジェンダーとテクノロジーというブログ記事で、コンピュータ業界に女性が少ない理由に関する研究を紹介しましたが、そこでも、やはり好みの話が多くでてきます。

OECDが発行している文書においても、女の子でコンピュータ職を目指すのが5%であるのに対して、男の子は18%とあります。

その道を目指すかどうか、というのが結構大きな要素なのです。

女性がエンジニアに向いてないとは言えない

その道に進むことを選ぶ人が少なかったとしても、「女性がエンジニアに向いてない」ということはありません。 私のまわりにも、非常に優秀なIT系女性エンジニアがいます。

第二次世界大戦の頃にも、女性プログラマはいました(「世界初のプログラマ」だった知られざる6人の女性)。

以前、半数が女性 マレーシアの情報科学科に関する論文というブログ記事を書きましたが、マレーシアは女性エンジニアが非常に多いようです。親が子供に対してIT系の職につくことを強く勧めることで、多くの女性がエンジニアとして働いていると論文に書かれています。

マレーシアの事例を紹介している論文には、「コンピュータは男性的であり、女性がコンピュータを避ける」という先入観を西側諸国の研究が造り上げてしまっている可能性もあるのではないか、という問題提起もあります。

原文は全く問題がないのか?

今回、原文を読んだ感想としては、問題となりやすい表現だとは思いました。

男性や女性という生物学的な男女に限定せず、男性的(masculine)と女性的(feminine)という傾向で表現した方が良い部分もありそうです。 論拠となる研究等への参照を十分に用意したうえで、断言するような表現を減らす方が良いとも思いました。 差別的と解釈されかねない表現を極力避けていれば、良い提案になった可能性もありそうです。

原文には、「Non-discriminatory ways to reduce the gender gap (ジェンダーギャップを減らすための差別的ではない方法)」という内容もあります。 そこでは、女性エンジニアが働きやすい方法を提案しています。

GoogleのピチャイCEOが「文書に書かれた内容の多くは、議論に値するものだった。」と言っていることからも、内容の全てがデタラメではないことはわかります。 やはり、こういった話題においてはニュースのみではなく、原文を読むことが大事だというのも、今回の感想です。

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