博士卒でマスコミ記者というキャリアパスがもっとあってもいいのでは?

2009/12/8-1

多少時間が経過してしまいましたが、先日の「ノーベル賞受賞者・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明」の質疑応答で、記者の質問に対して「マスコミ側の質が低い」という趣旨の回答が行われていました。 録画映像が非公開になってしまったので正確な表現は書けませんが、アメリカでは博士課程卒業者が記者となって取材することがあるのと比べると、日本の記者は専門性が低く様々なジャンルを横断的に取材するため深い記事を書けないという発言内容だったと思います。

確かに、大手新聞社などの記者の方々は、特定の技術や科学に関する深い専門性はあまり無い気がします。 この話を新聞社内部の方々にすると、記者は部署内で異動しながら様々な分野の記事を書くという現在の体制が一因であるという話になりがちだと思います。

参考:ITmedia: ノーベル賞受賞者らが仕分け批判で集結 「世界一目指さないと2位にもなれない」

利根川氏は「日本の大新聞の科学部は米国と比べて専門知識がない」と指摘。科学の重要性を広く理解してもらうためには「マスコミにもっと科学を理解してもらわないと」と注文を付けていた。

個人的に「ブロガー」と名乗ってイベント取材などをしていてわかったのですが、日本国内では取材を受ける側も「記者」と名乗っている人が技術的に突っ込んだ質問をすることはあまり無いという前提で対応をすることが多いような気がします。 イベントなどで「PRESS」と書かれた腕章をしながら、色々と根堀り葉掘り質問しまくると「本当に記者さんですか?」という質問を良くされます。 これって取材される側が「取材者は突っ込んだ技術的な質問をして来ない」と思ってるということではないでしょうか。

理解してくれる記者が少ないと、なんで問題なの?

では、理解してくれたり、その分野に継続的に興味を持ってくれる記者が少ないと、どのような問題があるのでしょうか? 個人的には、露出の少なさによって発生する問題には以下のようなものがありそうだと考えています。

  • 認知不足による無理解
  • その分野への無関心
  • その分野の有用性や重要性を理解してもらえない
  • 閉鎖的なコミュニティだと誤解される
  • その分野へ新人が入って来ない
  • その分野に対する親近感を持ってもらえない
  • 事業仕分けのような場で晒された時に誰も味方になってくれない

メディアへの露出が少ないというのは「透明性が低い」と勘違いされる場合もありそうです。 研究全般に対して「透明性が低い」とか「何の役に立ったのか不明」という発言をする人がたまにいますが、色々質問してみると単に発言者が知らないだけという場合もあります。 昔と比べると、昨今では多くの情報が公開されるようになっています。 しかし、公開されている場所や、そもそも公開されていること自身を知らない人は多いです。 「透明性が低い」と言われるのは、「公開はされているけど注目されてないだけ」という状態である場合も多いのではないかと推測しています。

しかし、「不透明だ」と言っている人に「ここで詳細な情報が公開されている」と言ったとしても、恐らく「専門的な文章を渡されてもわかるわけないだろう!」と言われかねません。 結局は何らかの形で「わかりやすく」翻訳をしたうえで情報を再配布するような存在が必要になるのだろうと思います。

マスコミが取り上げてくれないのが悪いのか?

そのような意味で研究者側の愚痴的に「マスコミが取り上げてくれない」とか「マスコミの質が低い」という話になるのだろうと思いますが、個人的には博士卒業者のキャリアパスとしてマスコミ記者になる事を推奨したり、encourageしてこなかった学術側にも課題があると感じています。

自分の分野を良くわかってくれるマスコミを獲得するには、そこに人を送り込む事に積極的になる必要があるのではないでしょうか? 自分の分野に関して、心意気を含めて本当の意味で深く気持ちを共有できる記者を産み出すには、自分の研究室の卒業生をマスコミに送り出す必要があるのではないでしょうか?

今回の仕分け作業の思想が進んで行き、税金という単一予算に対して、最終的には他分野(科学以外)との予算の綱引きを盛大に行わなければならなくなっていくと、その分野が如何に認知されているかの勝負になるのかも知れません。 そして、多くの人々に分野全体を認知してもらうには、ある程度の頻度でメディアに露出し続けることが求められると思われます。

「声が大きい分野が勝ちやすい」という構図に関しては賛否両論あると思いますが、恐らく多くの記者を自分の分野の卒業生から出した業界は強くなるのだろうと思いました。

あと、ちょっと本題とはズレますが「マスコミは取り上げない」とか「マスコミが書く科学記事は質が低い」という表現をする時って、大抵大手新聞社をイメージするんですよね。 専門誌という意味でのマスコミだと、かなり詳しい記者の方々が多いですし、しっかりとした内容で色々と専門分野の記事を執筆されていると思います。 念のため。。。

博士課程卒業者が記者になる道は、ポスドク問題にも良い影響があるのかも

博士課程を卒業した学生が就職出来ないという「ポスドク問題」があります。 多くの企業が年齢の高いポスドク学生の新卒採用を敬遠する一方で、大学教員として募集人員も限られているというのが原因の一つだと思われますが、例えば、ポスドクがメディアの記者として重宝がられるのであれば、ポスドク問題の改善になるのかも知れないと思いました。

さらに、ポスドク記者が増えれば、技術や科学に関する記事が多く執筆されるキッカケにもなり、理系離れも改善されるかも知れません。 まあ、あまりに楽観主義的な考えではありますが、ポスドク記者が増えれば面白いと個人的に考えています。

まあ、今は出版やメディア全般が激しく衰退している(もしくは大きな変化の波にさらされている)時期なので、現実問題としては難しいのかも知れませんが。。。

今後は「様々な視点」という概念が必要だと思いました

先日の「ノーベル賞・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明と科学技術予算をめぐる緊急討論会」に関連する以下の記事を見ていると、今後は「科学者ではない人々」の理解を得るというのが死活問題になっていくような気がしました。

これらの記事を書かれているブロガーの方々は、「ネット」でのコミュニケーションや情報公開に関して精通されている方々だと思います。 ネット上で文章を晒すという行為は、非常に多くの人々を呼び寄せてしまうので、自分に対して好意的な人々と同時に、激しく批判的な人々も呼び寄せます。

批判的な人々を呼び寄せてしまう文章を書いてしまうと、非常に戸惑ってしまうのですが、色々な文章を公開していくうちに、徐々に「どういった方向性の文章を書くと他人の気分を害するか」に関して肌感覚で理解していくような気がします。

そして、恐らく、この「肌感覚」はネットに限らない話なのだろうと思います。 それはそのまま「多くの人の目に情報が触れる」ということなのではないでしょうか?

今回の事業仕分けは、広く国内に公開される内容です。 このような「場」では、色々なものを呼び寄せてしまうネットでの発言と同じような慎重な考え方が要求されると個人的には考えています。 そういう意味でも、情報の発信に関しての勉強や経験をしている人材が研究機関などに存在している必要が今後は出てくるのかも知れないと思いました。

最後に

学術側は積極的に成果をPRしたり、PRの効果が高まるように専門性を持ったメディアを自らの手で育てて行ったりという事が今後は強く要求されると思った今日この頃です。 (と同時にロビー活動も必要になっていくんですかね。。。)

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