努力の結果を「才能」や「センス」で片付けないで欲しい

2013/8/6-1

色々なところで「センス」とか「才能」があるかないかについて語られることがあります。個人的な感想として、「センス」とか「才能」というようなものは、恐らく存在すると思います。 たとえば、全くやったことがないことを初めて習うときに、それが身に付くのが早いかどうかには個人差があります。

しかし、どこまでが「センス」や「才能」であって、どこまでが努力の結果であるかを第三者がパッと見て判断するのは、実際は難しいのではないかという感想も最近持つようになりました。

センスで片付けて欲しくない!

「センスありますね」と言われて、「いやいやいや、それは違いますよ」と言いたくなるような事例として、たとえば、いかのようなものが考えられると思います(注:フィクションです)。

知人にチラシ作成を頼まれたときに、レイアウトやデザイン関連の本をいくつか購入しつつ勉強して作った成果物に対しての褒め言葉が「センスありますね」だったときや、写真撮影やライティングの本を読みつつ試行錯誤して撮影した商品写真に対して「センスありますね」と言われて、モニョモニョっとした気分になるというような事例が考えられます。

それぞれ、単に頼まれて無償で手伝っただけなので、プロではなく単なる素人としてできる範囲内で試行錯誤をしただけだったとします。 そこら辺の技能を習得するための教育を真面目に受けたことが無いので、成果物を作成するために、結構な時間を費やして独学で調べたり試したかも知れません。

でも、実際に何をどう苦労しかたなんて他人からは見えないわけで、成果物だけを見て「あー、この人って才能があるのかも」で終わってしまうわけです。 なんというか、「がんばりましたねー」とか言ってもらえると多少嬉しかったりもする場合もあると思うのですが、それを言える人って、学習のbefore/afterの両方を知っていて、かつ、成果物の品質を鑑定できるだけの能力が要求されるという難しさがあることも理解はしています。

もうひとつは、「この人は才能があるからできるのであって、自分ができないのは普通のこと」のような雰囲気を感じることがあるというのもあります。

まあ、何というか、「センスある」って言われて、モニョっとした気分になるというのは、単なるメンドクサイ人なだけという気がしなくもないですけど、「そういうことってあるよなぁ」と思うわけです。

それって本当に「センス」なんですか?

そういったことさらに考えていくと、そもそも「それってセンスなの?」という話が多いような気が最近しています。

大学1年生のとき、学生全員がコンピュータの授業でタッチタイピングの練習を行っていました。 それまで全くキーボードを扱ったことがなかった私は、全然タイピングができず凄く苦労した覚えがあります。 私が苦労している横で、授業の課題だったタッチタイピング練習ゲーム(たしか「yumiko先生」という名前だったはず)で高得点を連発している友人がいました。 彼は、コンピュータを使った経験があるわけではなく、ピアノを習っていたので指が滑らかに動いていました。

このように、初めてやったことであっても、何か関連する、もしくは類似するような何かを身につけたことがある人であれば、ある程度容易に最初のステップをクリアできるということは多いと思います。

その人が行った過去の努力の結果として、何かを上手にできる場合も含めて、「センス」の一言で済ませてしまっているということも色々ありそうな気がします。

最強の「才能」

体格などの身体的特徴によって有利になるような競技もありますが、そういった方向性ではなく、「センス」というような方向性で語ったときの「才能」で、私が最強だと考えるのが、「それを好きになること」とか「努力を続けられる才能」なのだろうと考えています。

そもそも、この文章のコンテキストで考えると、「それを好きになること」というのも、その人が育った環境によるところが大きいような気もしていますが、私の感想だと、「それを好きになること」とか「それを楽しいと思えること」とか「地道な努力を続けられること」って、「才能」だと思うんですよね。

私は、色々なことに興味を持ってしまい、あまりひとつのことに集中できない性分なので、ひとつのことに熱中できたり、地道な努力を継続できる人は本当に凄いと思います。 また、「この人凄いなぁ」と思えるような専門家やスポーツ選手の方々って、見えないところでの努力が凄いという印象があります。

やっぱり、努力を続けられて、最後までその分野に生き残り続けるような専門家になる難易度って異常にハードルが高いなぁと思いつつも、その努力を「センス」の一言で半ば無視するのって、何か微妙に納得がいかない今日この頃です。

追記

よく考えたら、「センス」という単語は「才能」という単語に近い意味で使われる場合もあれば、「肌感覚」に近い意味で使われる場合もあります。

「肌感覚」に近い意味で使われる場合には、経験を積むことで後天的に「センス」を鍛えることも可能だと思うので、そういった意味では、この記事で使っている「センス」という表現も曖昧であるので、この記事は駄目記事であると反省しております。

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