提供者の気持ち

2008/8/8-1

何かを作っていると自分が「提供者の気持ち」に陥っているのが見えてしまうときがあります。

例えば、以下のような思いが湧いてきます。

  • これはベータ版だから、これで許してもらえるだろう
  • フリーソフトだから文句は言われないだろう
  • 実験的に公開しているだけだからいいだろう
  • フリーのサービスだから許してもらおう
  • 技術的に困難なのはわかってもらえるはず

実はこれはかなり危険かも知れません。

提供者側の気分で言えば、ユーザは別に文句を言う筋合いはなかったりします。 しかし、ユーザ側の視点から行けば、期待以下であればフリーだろうが実験的な試みであろうが、駄目なものは強烈に文句が言いたくなるかも知れません。

様々な「実験的」名目で行われているサービスが、「実験的」という単語を隠れ蓑にして完成度の低さを許してもらおうとしています。 しかし「ユーザの感覚」から行けば「実験的」と大々的に書いてあろうがなかろうが関係ありません。 先進的なイメージを持たせるために完成度よりも実装速度を優先して、「実験的」という名目になっているプロジェクトほど評判を落とすキッカケになりやすいのは皮肉なものです。

とはいえ、あまりに頑張ろうとし過ぎると時間がかかり過ぎてしまいます。 時間をかけ過ぎて出遅れると、全く相手にしてもらえないかもしれないという焦りも出てきます。

一方で、ユーザの期待がそもそも低ければ「実験的」に公開した完成度が低いものが大絶賛されたりします。 全く名前が売れていない個人やベンチャーの最大の強みは、知名度の低さから来る期待の閾値が低いところなのかも知れません。

結局は公開する主体と、公開してしまうタイミングと、公開するときの完成度のバランスが大事ですが、ユーザが期待しているものや、お目こぼししてくれるレベルなどは提供者側からは推測しにくいのが難しいところです。 いや、本当に難しいですね。。。

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