「プロに対する報酬が少なすぎる」と言う人が別のところで値切ることがある

   このエントリをはてなブックマークに登録    2017/9/19-1

「Webデザイナの報酬が少なすぎる」とか、「イラストレータの報酬が少なすぎる」とか、「IT系のエンジニアは報酬が少なすぎる」とか、「フリーランスはかかった時間が収入に直結する」とか、「スポーツのプロトレーナーは報酬が少なすぎる」というような話題が盛り上がることがあります。

極端に安い値段で何かをすることを要求しておいて、その要求が聞き入れられないと「お金に汚い」みたいな捨て台詞を吐くといった対応をされたということも、わりと良くある話です。 そういう話を聞くたびに、極端に安い値段で仕事をさせようとしている側が最もお金に汚いのではないかと思います。

技能に対する対価という話題では、ネット上でピカソの逸話が紹介されることもあります。 自称ファンの女性がピカソに紙を渡たし、絵を描くことを求めます。ピカソが短時間でささっと絵を描き、その値段として大きな金額を提示し、女性が「描くのにかかった時間は短かった」と言ったのに対して、「この絵を短時間に描けるのようになるのに30年かかった」と答えたというものです。 技能の習得には時間がかかり、その苦労した時間を含めての報酬と考えるべきという話です。

プロの側が自身の境遇を想像しながら、「プロに適切な対価を払うようにしよう」と発言することに関しては、基本的に同意です。対価を適切に要求するのって、本当に大事なんだなぁと最近思います。もっとちゃんと対価を要求するようにしないといけない、かかる時間に対して対価が少ないものに関しては断るようなことを増やさないといけないと、少し前に反省して考えるようになりました。

しかし、「プロに適切な対価を払うようにしよう」という話をしている人が、自分の専門分野とは全く異なる分野の話であったり、他の分野のプロに仕事を依頼するときに「これって高すぎるよね」と安易に言っている話を見ることもあります。 実際に値切っていたり、クレームをしていたりという現場も見たことがあります。 自分の報酬に関しては憤りを感じつつも、他人の報酬が高く自分の利益が減ることに関しても同時に憤りを感じるのです。 ギブアンドテイクの関係が成り立っていたり、本人が納得している状況ならば良いのでしょうが、そうでないのであれば、「あの人たちはわかってない」と憤りを感じてた相手と同じことを、憤りを感じていた人がやっていることになります。そして、そのことに無自覚なのです。

人って、ポジショントークから逃れられないし、おそらく、そういったダブルスタンダードになるのは自然なことかも知れません。 「相場」という謎の価格感に影響を受けることも多々あります。

最終的には、無自覚に無責任な発言をしてしまうことからは逃れられないと思うので、割り切るしかなさそうです。 「この金額であったとしても、この人(会社)に頼むしかない」と思ってもらえる環境を構築できるかどうかという話であり、単純に「対価が低い」と憤っても成果は得られないのかも知れないと思うわけです。

値段交渉って、綱引きですね。

ピカソの逸話について

余談ですが、ピカソの逸話には様々なバージョンがあるようです。

日本国内では30秒で絵を描いて、対価として100万ドルを要求するというものが多いようです。

この元ネタは海外からのようで、英語で検索しても同様の逸話を発見できます。 英語圏で私が発見したバージョンでは、絵を描くのに要した時間として、30秒、5分、10分の3パターンを発見しました。 要求した対価としては、100万ドルが多かったのですが、5000ドルや5000フランというものもありました。 技能を習得するのにかかったと述べている期間に関しては30年が多かったのですが、50年と書いてあるものもありました。

ピカソの逸話は、創作かもしれないですね。

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