「ブログで食べていけるのは一握り」というのは当たり前かも知れない

2007/8/19

「ブログで食べていけれるのは一握りしかいない」という話は色々なところで目にします。 私もそう思っていますが、最近までは収入の手段が限られていて、かつ、収入も多くなさそうである事が原因だと思っていました。 そのため、Webの世界で収入を得る手段が確立されていけば、その状況は変わるかも知れないと考えていました。 (ウェブ進化論の影響受けすぎ!という指摘はお控え願います。)

現状では、ブログの収入と言えば広告かアフィリエイトです。 しかし、インターネット広告とアフィリエイトにお金を出している企業は、全体からすれば未だ少数です。 この状況が変化して、広告主が劇的に増えれば状況は変わるのではないかと勝手に妄想していました。

ですが、最近では多少考え方が変わっています。 最近では、「ブログで食べていけるのは一握りしかいない」という状況は永遠に変化しないのではないかと考えています。 もちろん「一握り」の規模は変わると思います。 ブログだけで食べていける人の数は増えると思われます。 しかし、全体からすると少数の人だけが「ブログだけで生活できる」という状況は常に真になるのではないかと妄想しはじめました。

例え個人ブログであっても、読者数が多くなればもはやメディアになってしまうと思われます。 ブログで収入を得るというのは、個人の発信する情報が何らかのメディアへと変貌して、メディアである事によって収入を得られるようになるのではないかと想像しています。 (内容が個人の日記で公共性が無いようなものであっても、読者が多ければある程度の影響力があることは事実だと思うので、ここではメディアという表現にしています。)

逆に言えば、メディア化していなくて読者数が少ないブログでは収入が得にくいのではないかと思われます。 メディア化しているかどうかというのは、相対的なものであると思われます。 人が何かを見るには時間がかかります。 時間というのは有限なので、サイトAの読者数が増えれば、世の中のどこかの何かにかけれられる時間が減ります。 例えば、日本語で発信している情報であれば「日本語が理解できる範囲の読者数×24時間」が人々の関心を引き付けられる最大値だと思われます。 そのパイの中を世の中全体で奪いあった結果、より多くの時間を占有できる媒体から順番にメディアとしての収入が割り振られていくような気がしています。

ということで、ブログで生活をしようと思う人のうちの一握りだけが、それによって生活ができるという状況は、 作家や漫画家などで食べていける人が、その道を志す全ての人のうちの一握りであるのと同様であると思い始めました。

さらに、人々の時間というのは有限なので、ブログで食べていける人が増えるということは、他の媒体で食べていける人を減らしているのではないかと思われます。 また、雑誌や本などの媒体で食べていた人がブログの世界に入ってきて、ブログを生活圏にする事もあり得ます。 結局、収入源となり得るパイは一定なんだなぁと、何となく妄想してしまいました。

書き終わってみると、当たり前の事をつらつらと長く書いてしまった気がしますが。。。 まあ、同じような話はそこらじゅうで書かれているような気もするのですが、一人でボーっと考えていたら思った事を書いてみました。

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