ネット言論の質が低いのは当たり前

2009/3/28-1

タイトルは釣りです。

書くことの難しさ ネットの言論はなぜ質が低いか(IT-PLUS)」という記事がありました。 アルファブロガーの小林啓倫さんが「批判されているのが、僕のような個人ブロガーだとして」と書かれているように、私も駄文をネットにまき散らしている一人としての元ネタへの感想文を書いてみました。

元ネタ記事を執筆されている藤代裕之さんは個人的に凄いと思って尊敬していて一度はお会いしたいと思う方で、恐らく私がここで書いていることは百も承知だと思うのですが、あえて書いています。

時間と生活

個人的な感想としては「生活」という面で、ブロガーが成り立たないという事実がまず一番大きいと感じています。 雑誌に1ページ書いて得られる収入を今のブログで得るには何倍の時間と労力が必要でしょうか?

「何倍の労力」という表現には「何個の記事を書いて」という意味も含まれます。 例えば、雑誌記事1ページを書くのと同じ収入を得るためにブログ記事10個を書かなければならない場合、自ずと一つ一つの質は落ちて行きます。

一つの記事によって得られる収入が大きければ大きいほど、一つの記事に対してかけられる時間が増加します。 プログラムを書く場合でも、何かの作品を作る場合でも、時間をかけた方が質が上昇します。 もちろん、ある一定の所以上に行くと質の上昇は時間と比例しなくなりますが、少なくとも品質を犠牲にしないくても良いほど十分に時間をかけて調べた記事と時間を削って書いた記事では品質に雲泥の差がでます。

そして、「生活」をするためにブロガーのほとんどは「本業」を持ちます。 パートタイムで生成された「言論」と、フルタイムで形成された「言論」のどちらの品質が勝るかはご覧の通りだと思います。

編集が入るか、同人であるか

丁度、数日前の記事で書いたばかりなのですが、今の私にとってはブログの記事は「ラフな原稿」です。 そして、ネットではない紙の出版物(雑誌)に対して「練った原稿」を提出するという作業を何度か行っています。

ブログは善くも悪くも同人です。 雑誌は編集者の目が入るので、その分、質が上昇します。 そして、質が高くお金に還元可能なマーケットが形成されているので、書く事によってブログよりも多くの収入を得られます。

安全の確保

何かを告発する文章を書いたとして、誰が守ってくれるのでしょうか? 告発文をブログで掲載したことによって企業から名誉毀損裁判を起こされた場合に、弁護士費用はどうすべきなんでしょうか? 弁護士な方々との交流が無い人は誰に弁護をお願いすれば良いのでしょうか?

取材した相手を公表しろと迫られた時に、誰か一緒に戦ってくれるのでしょうか?

経費の負担

ブログの記事を一つ書くために海外へ取材へ行けますか? 北海道に在住のブロガーがブログの記事を書くためだけに東京へ出張に行きますか? ブログの記事に掲載する写真を撮影するためにプロのカメラマンさんを1日雇えますか?

企業という後ろ盾が経費を負担してくれる既存メディアと、個人で全ての経費を負担しなければならないブロガーとでは品質に差が出るのは当然だと最近強く感じます。

鶏卵問題

でも、恐らく結局は鶏が先か卵が先か問題なんですよね。 言論の質が低いからお金が流入しない、お金が流入しないからそこに本気で時間を投入しなくて質が低いと。。。

さらに、お金が無いから遠距離での取材ができない。 お金がないから安全を守りにくい。

で、お金を流入させる取り組みは様々なベンチャー企業な方々が取り組んでおられるので、藤代裕之さんは質を上昇させる取り組みを頑張ろうとしているというようなところだと勝手に推測しています。

ということで、半分批判のような感想文ではありますが、教育プログラムは素晴らしい取り組みだと思いました。 何か、全然まとまらない文章ですが、この記事のまとまらなさはまさに「ブログ的」な文章ではないかと思う今日この頃です。

追記

ブロガーとしてプロになるという視点は実はかなりマイノリティであると実感しつつ、他のブロガーの方々の生き様が現れている文章は面白いと感じました。 ブログ上の言論(議論?話題?)には適切な「種」や「起爆剤」となる「問題提起」が必要なのかも知れませんね。

未来のいつか/hyoshiokの日記 : ネットの言論ってなんだろう

404 Blog Not Found : 言論の質は誰が決めているか

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