Interop Tokyo 2010直前に過去を振り返る座談会(前編)

   このエントリをはてなブックマークに登録    2010/6/1-1

これまでのInteropを振り返る「Interopを語る会」という企画の取材に行きました。 過去のInteropを思い出しつつ、時代時代の通信技術やトレンドに関して語るという企画です。

お話をうかがったのは、慶應義塾大学 中村修氏、シスコシステムズ合同会社 森川誠一氏、日本電気株式会社 曽根高則義氏、日本電気株式会社 金海好彦氏、株式会社日立製作所 高津智明氏、ナノオプトメディア 佐藤孝氏です。

以下、座談会インタビューです。 なお、以下の座談会は2005年ぐらいまでの話を中心とした前編です。

Q: 個人的に「冷や汗が出てドキドキした事例」というのを聞いてみたいと前から思っていたのですが、過去のInteropで、ドキドキしたことを教えてください

高津氏:

ドキドキですか? 色々ありましたね(笑)。 市場に出る前の製品を活用したり、まだ市場で一般的でないドラフト仕様の製品同士を相互接続したりする際はかなり気を遣いました。今後必要になると予想される最新コンセプトを扱うというイベントの性格上、毎年結構ドキドキはしているんですよね。

なかでもDSLは凄くドキドキしましたね。 テクニカルに本当に動くのかどうか、計画段階でから運用が終わるまでかなり慎重になりました。

出展いただく各企業の製品コンセプト(技術や機器の方向性)と、市場に与える影響など多角的な面で、意思決定に時間がかかって会期までに間に合うのだろうかとドキドキしたというのもありました。 たとえば、VoIPとかファイバチャネル系はマーケットが今度どのように変化していくのかが見えてない試行錯誤の時期があり、各関連企業の社内で調整が難航して、アナウンスしていいかどうか悩んでいるメーカさんが多かったように思えます。

森川氏:

そもそもInteropという活動に、ベンダとしてどうやって取り組むのかはジレンマがありました。 私が最初にInterop見たのが、92年だったのですけど、サンノゼですね。 Interoperabilityというのがテーマの展示会だったんですよね。 それ自体、やっぱり非常に新鮮でしたよね。

何故かというと、それまではIT業界というと、互換性はあるけれど、対等な相互接続という文化ではなかったと思うんですよ。 ある程度強いベンダがいて、他のベンダが強いベンダとの互換性を維持すると。 明らかに、これは、上下関係のうえに成り立っている接続でした。

ところが、Interopというのは、そこを対等にしましょうと。 さらに、それに加えてオペレーションですね。 単に繋がるだけではなく、実際にそれが運用可能ですと。 Interopは、当時、僕の頭の中にあったIT業界よりも、2歩先に行っていました。 92年に観客としてInteropに行って、凄く感銘を受けて、「やっぱり通信業界はこうだよな」と、そのときは素直に「凄いよな」と思ったんですけどね。

じゃあ、94年になって、実際に携わると、とんでもなく大変なことでした。 RFCのような文書がありましたが、それでもベンダとして自分の製品の仕様を変えるとか、変えないとか、調整が難しかったです。 当時の従来のやり方だと、そもそも誰が判断するのかを決めるだけで1ヶ月ぐらい平気で経ってしまいました。

しかし、Interopでは、相互接続実験は長くても1ヶ月です。 場合によっては2週間です。 その間に、ベンダとしてのスタンスを決めなければなりませんでした。 これは、いまだに凄い大変なんですけどね。

94年は、僕はISDNの相互接続ワーキンググループのサブチェアをしていたのですが、いやぁー、キツかったですね。

当時のISDNワーキンググループを振り返ると、自分の製品を持っているベンダは、頭ではわかっていても、それほど積極的に相互接続性を確保する方向へは動けませんでした。 一方で、インテグレータ系や商社系の方々は、当時から様々な機器を組み合わせるということを行っていたので積極的に動かれていました。 相互接続の原動力になったのは、そういう方々でしたね。

やっぱりベンダにとってはInteropって大変なんですよ。

Q: 先ほど話題に出たDSLをInteropで扱ったときのことを教えてください

森川氏:

DSLが国内であれだけ盛り上がったのは、Interopは一つの要因だった気がしてるんですよね。 InteropのShowNetでDSLを扱った時期としては、e-Accessが立ち上がる前でした。

高津氏:

そのとき、全ての機器を持って来て、全パターンでやりましたよね。 CPE(一般家庭側に設置するADSLモデム)も様々な種類がありました。

森川氏:

マーケット的には、当時はDSLに対して、かなり否定的でした。

高津氏:

日本じゃ動かないという意見もありましたからね。 当時は、INS(ISDN)とコンフリクトすると言ってました。 でも、それを動かしてみたら動いたんですよ。….かなり特注で改造した部分もありましたが….

中村氏:

あのとき、出展社により対線を配ってDSLサービスを提供しました。 UTPではなく、2対の線をドロップとして出展社に配りましたね。

高津氏:

凄い裏技を使ってたんですよ。 本当は、電機設備業者さんは工事の効率化を考えてCategory 5を引いてたんですよ。 DSLを接続する場所には、その先に、大量に自作したRJ45をRJ11に変換するパッチパネルを作りました。

あと、Interopの幕張会場で距離が近過ぎて繋がらないなど、DSLの伝送うんぬんも、もちろんありましたが、DSLAM(Digital Subscriber Line Access Multiplexer)から裏側をどうするかが、Interopをやるまで見えてなかったというのもありました。 当時は、インテグレーションをどうやるのかがわからなかったんです。あれをやるまで。

通信事業なので、加入者の認証を行わなければならず、それをどのように行って、どのようにRADIUSを見に行くのかなどの課題がありました。 さらに、DSLAMを作っているベンダと、アグリゲータを作っているベンダがミックスになることがあるわけです。

運用技術的には、当時全くなかったわけです。 それがInteropで確立したとまでは言いませんが、影響はあったと思います。

高津氏:

そうですね。 日本でどうやれば良いのかというトライアルは、Interop内でかなり色々やりました。

中村氏:

あの時って、出展社もかなりDSLを使ってましたよね。 何でですかね? ブース側も興味があったということですかね? あ、そうだ、出展社へ提供するネットワーク(デフォルトドロップ)がDSLだったんだ。

高津氏:

当時は光ケーブルを使うイーサネットが一般的でなかったのと機材が潤沢でなかったことから、100m超えは全部無理矢理DSLにしました。 クレームが来たらどうしようということまで想定してましたね。

森川氏:

当時は、ブース側も速度を気にしなかったんです。企業でも家庭でもメガの速度には触れていないわけで、6MbpsのDSLでもとっても快適でした。

佐藤氏:

当時は10Mbpsのドロップもまだありました。 デフォルトドロップは10Mbpsだったのですが、それと比べるとDSLは上下で速度が違うので説明が必要だなどの問題もありましたが、当時は距離の問題も大きかったので、とりあえずやってみようという方向でまとまりました。

森川氏:

実は、その前年度に開催されたInteropでDSLのCPEが参考出品しているブースがあったんですよ。 商社系のブースが主なんですけど。 ただ、どちらかというと、工場などでのインハウス的なところに「いかがですか?」という感じでした。 ロングリーチイーサとして。

一同:

あーー、ロングリーチイーサ、ありました、ありました。

森川氏:

ただ、日本ではキャリア向けのDSLソリューションはないよね、というのが当時の認識だったんです。

高津氏:

そもそも、日本国内の網内では、言い換えると日本国内のキャリア網では、DSLは動かないスペックだったんですよ。 Annex Aですね。 その当時の製品はアメリカ仕様であって、日本のINSに合わせた周波ではなかったんです。 日本用に、DSLAMもCPEも合わせて作ったのをInteropに持って来て動かしました。 Annex C。 あれが初めてだったので、クロックなどの下位レイヤから、PPP、マルチキャスト、RADIUSまで、全部ShowNetでテストしたんですよね。

確か、InteropでDSLを使ったのは、e-Accessと東京めたりっくとがサービス開始したよりも前だったと思います。

佐藤氏:

Interopの打ち合わせで、e-Accessに行ったときに、新しいオフィスでDSLのテストをしていたのを覚えています。 で、そこでテストしていたものを、Interopでもテストしたいから、一緒にやらせて欲しいという話でした。 それで、出展ブースを出していました。 実際にサービスインしたのは、Interopよりも後でした。

中村氏:

多分、その時期って、どっちもどっちだったと思うんですよ。 日本でもDSL行けるかも知れない、と思ってe-Accessもでき、東京めたりっくもでき、NTTのメタル解放もあり、これは行けるかも知れないと。 だったら、技術を見なければいけないということで、InteropでもDSLをやりました。

で、当時立ち上げていた2社と「一緒にやろうよ」という感じだった気がします。 なので、先行していたというよりも、一緒に立ち上げるというノリだった気がしますね。

森川氏:

Interopであれだけやった効果があったのは、思ったよりもベンダがいっぱいいるというのと、思ったよりも動くというのがわかったことが一つです。 技術のトリガーとしてInteropがやったことが最初かと言われると、確かにクエスチョンではあります。

ただ、Interopでやったことによって、参入したベンダが増えたのは事実なんですよ。 なおかつ、私達は混在運用できるというのを示しちゃったんです。 その前は、DSLAMとかアグリゲータって、みんなパッケージで売ろうとしてたんです。

でも、Interopで混在運用出来るって、言っちゃって、やっちゃったんです。 そうすると、「じゃあ、DSLAMは安いところで」「アグリゲータも安いところで」という価格競争に拍車をかけたと僕は言い切れると思います。

あの前は、決まった製品組合せしかなかったですから。 それまでセットだと思われていたのを崩したのは、大インパクトだと思います。

Q: WDMを最初にInteropに持って来る時も大変だったと聞いています

中村氏:

NECさんや富士通さんの大きなWDM装置を最初に入れたのが99年だったのですが、そこは一つの大きなターニングポイントでした。 それまでは交換屋さん、すなわちキャリアとは一線を画した状態になっていたInteropですが、これからはIPは通信事業の根幹に関わってくるんだから、キャリアクラスの局用のWDMも、ちゃんと持って来て、それとの相互接続もやらなければならないという判断をしたんですよね。 でも、あの当時、そういう機器を入れるべきか入れない方が良いのかということで、これは結構もめましたよね。

森川氏:

技術的にもそうですが、事業モデル的にも、その時議論がありました。 要するに、専用線を提供する事業者がいて、その専用線を利用している付加サービスとしISPがいるという状態が94年から96年ぐらいでした。 96年にOCNができましたね。 で、その頃、一般企業と同じようにISPが専用線を利用するという状態のままでは、バックボーンのリミテーションが問題になるようになって、ダークファイバを局間に使うという話が登場しはじめて、ISPの運用が変わるという時期だったんですよね。

その状況と、InteropがWDMの技術を使うというのは、凄くリンクしてたんですよ。

中村氏:

当時は、通信事業者がいて、通信事業者の上にISPがいるような状態になっていた時代でした。 その頃まで、我々はISPと一緒にInteropをやってきたようなところがあったのですが、そのうち、我々は「このままじゃいかんよね」と、今だったら当たり前のようなIP電話などが登場しだして、ターニングポイントだったのが、この99年でした。 WDMをInteropで扱おうと、これからはダークファイバが来るよねと。 通信事業者から専用線サービスを買うのではなく、ISPがダークファイバを買って、ISPが自分達でWDM装置を直接買うという時代が来るな、と当時思いました。

装置で言えば、Cienaが出て来て、Notelも出て来た感じです。 それまでは通信事業者だけを相手にしていたWDM装置メーカがISPに機器を販売しはじめました。

Interopでも、その頃ですね。 NEC、富士通、Cienaと、いわゆる何億円もするWDM装置を、ガツガツガツっとNOCに置いたという時代でしたね。 このように、時代の背景をInteropは如実に表し続けてると思いますね。

森川氏:

あと、如実に覚えているのが渡すときのインターフェースの問題で、「SONET(Synchronous Optical Network、同期型光ネットワーク)っていつまで使うの?」という議論が当時よくありましたね。 伝送装置で専用線のような形で渡すという事は、責任分解点の問題もあって、やっぱりSONETで渡すよと。 で、OC-48からOC-192だよねと。 みたいな流れがあり、ところで、その一方で、ノンフレームドの流れがあり、ノンバッファードというか、フレーミングしないという「責任分解点どうすんだよ!」という装置も出てきました。 しかも、その装置は、そのままイーサネットのインターフェースを持っていました。 そうすると、両端の機器のコストはガクンと落ちちゃうんですよね。

この、Interopで扱った伝送装置の変化と、事業モデルの変化は完全にリンクしてましたね。

中村氏:

今思えば、国内のWDMメーカに「Interop用にWDMお願いします」と言いに行ったとき、当時のキャリア系の方々や、そこのために製品を作っている方々との文化の違いは強く感じました。 最初のうちは全く知り合いが居ない状態で行ったのですが、DWDMやダークファイバを直接使うという話をするときに、国内の機器メーカに会いに行きましたね。

そもそもミーティングの仕方が違うじゃないですか。 「中村先生、これはどう使われるんですか?」と質問されて、「いやぁ、建てて頂いてファイバ出して頂けいて、ちょっと光を分けてもらえば、それでいいんですが」と言って、「中村先生、それはどういうことでしょうか」と全く話が噛み合ずに、なかなかわかって頂けないという状態でした。

最後にラックは土台があってアンカーが無ければいけないということで、鉄板を持って来て、幕張メッセに鉄板を敷いて、そこにラックを建てましたね。 さらに、荷物を運ぶ時にも専用業者という形でした。 運ばれた機材を組み立てるのも専用業者で、ファイバを挿す人も決まっていました。

高津氏:

一度ラックに積んだものを動かすのは、あり得ないという感じでしたね。 毎年ホットステージを別会場で行って、設定済みの機器をラックごと幕張メッセの会場に運んでいた我々とは大きな文化の違いがありました。 私達とは違い、ミリとかナノメートルの精度で全てを行うという世界でしたから。

森川氏:

しかし、当時は徐々に通信業界も時代の変化を感じていたのだと思います。 時代の変化を感じていたからこそ、全く文化が違う我々のところにWDM装置をコントリビューションして頂けたのだろうと。

曽根高氏:

アンカーを打ってというのは、まさしくその通りです。 電気通信事業法で、まさしく「この交換機はどこに繋がって、どこと通信をする」というのは、届け出をしなければならないわけです。 そのため、それを動かすなんて発想はもってのほかなわけです。 当時、キャリアに機器を納入していた側からすると、ルータを動かすなんてあってはならないことなんですよね。

ところが、Interopで、それが動かせるというのを見た時に、衝撃を受けて、マーケットがまさしく動くなと考えたのだろうと思います。

中村氏:

そうですね。 当時その業界の方々の顧客はキャリアで、そこからの発注も「後は任せたので動くように!」という感じで、耐震性を含めてちゃんと考えて、ちゃんとオペレーションできる形を作ってくださいと。 今でも覚えてますが、私達は「とりあえず光ファイバが出てて繋がればいい」という感じなのですが、彼らは一つ一つのデシベル値などを全て精密に測定していました。 やっぱり非常に細かく丁寧な報告を頂くのですが、こちらとしては「ありがとうございます」と言いつつも「まあ、使えればいいや」ぐらいのいい加減さはありました。

Q: 中村先生が黒船だったのでしょうか?

中村氏:

そんなことはないと思いますが、たぶんInteropは時代の動きに対して敏感に反応しているということだと思います。 アメリカのInteropは90年代にトークンリングがあり、イーサネットがあり、その後、FDDIが入りました。データリンク的に言えば。

さらに、プロトコル的に言うと、AppleTalkがあり、IPがあり、IPXがあるということをやってたんですね。 で、それが、マーケットの動きに連動しながら、最初にAppleTalkが落ちたんでしたっけ? それともIPXが先でしたっけ。ちょっと正確には思い出せないんですが、同じような時期に両方とも消えて行ってInteropに残ったのがIPでした。

アメリカはAppleTalkをやってたんですが、日本に最初にInteropを持って来た時にAppleTalkを使わずにIPXとIPでしたね。 ただ、みんなIPXを含んだネットワークデザインはしてましたが、みんなIPXに対しての「愛」は無かったと言えます。 アメリカのNOCチームも愛がなかったし、日本のNOCチームも同様でした。 ユーザも愛がありませんでした。

Q: 何で愛がなかったんですか?

中村氏:

「もう消えるだろう」ぐらい、みんな思ってたんでしょう。 しかし、NetWorld+Interopというぐらいで、ネットワークのことをやらないわけにいかなかったというのはあります。

金海氏:

でも、技術者魂としてはIPをやりたかったと。

中村氏:

で、マーケット的にもIPX消えちゃいましたね。

森川氏:

当時、Ciscoも、結構、マルチプロトコル路線でした。 差別化要素でしたから。

中村氏:

当時、IPXもAppleTalkもルーティングできるというのはCiscoのウリだったわけですね。

そういう時代の移り変わり、たとえば100VG-AnyLANが出て消えて行ったと。 あれは何だったのかというと、Interopはマーケットの縮小版という側面があって、たとえばコントリビューションでどれだけその種類の機器を提供して頂けるのかというのは一つの指標でした。 良く覚えているのが、あるときからトークンリングのスイッチがコントリビューションで出なくなって来たんですよ。 気がつくと、トークンリングのコントリビューションがMadge一社になってたんですよ。 そうすると、もうInteroperability(相互接続性)のテストがいらなくなっちゃうんですよ。

マーケットを見ても、トークンリングがMadgeだけで、他のみんながイーサネットを売っていると、トークンリングが凄い勢いで縮んでいきました。

森川氏:

Interopは立ち上がりも多く見られますが、「たち下がり」も多く見られますね。

中村氏:

日本だとATMが結構長かったんですけどね。 あれはどうやって終わったんですかね?

金海氏:

あれは、1ギガイーサですよ。 OC-12まではATMだったんですよ。 その後、ギガが出て来て、その後はギガでした。

ギガがやっぱり楽だったんですよ。 使いやすさがありました。

あと、ポート単価が圧倒的に安いというのもありました。 1ギガというメディアだけではなく、L3スイッチも大きな要素だったのだろうと思います。 L3スイッチと1ギガの組み合わせで一気に変わりましたね。

高津氏:

あと、なにげに、あのイーサのトランクというか、今で言うリンクアグリゲーションの技術は凄い画期的で、初めて登場したときの感動しました。 さんざん苦労しましたし、単なる幻想なんですけど、あれで1ギガが2倍にも3倍にもなるって気分になって、それでOC-48の2.4Gbpsなんていらないという感覚になりました。 まあ、それで、そうやって思い込んで、結構苦労したというのもありますが。

金海氏:

思ったほど、その2ギガの帯域になりきれないというのは曲者でしたね。 片側に寄っちゃたりとか、リンクアグリゲーションする時の対抗の相手側との相性とかですね。

登場当初は、リンクアグリゲーションはベンダ各社独自でやってましたから。 IEEE的には標準があったのですが、各社が囲い込みのツールに使っていたという側面がありました。 落ち着くまでに3年ぐらいかかりましたかね。 というか、いまだに落ち着いてない部分は残ってますけど。

当時のパケット振り分けアルゴリズムの乱立は今でも覚えてます。 あとは、リンクアギリゲーションしてVLAN切った時に、どっちを先に評価するのかという実装issueとかはどうしてもありますね。 ハートビートというか、リンクが上がる順番とか、リンクが上がっていつグループジョインするのかとか。 そういう細かい所が標準規格書には書かれていないので。

なので、今でもマルチベンダでのリンクアグリゲーションの運用はやりたくなくて、それだから100ギガイーサ欲しいよねとなるんですけど。

Q: Interopでのギガイーサといえば光受光部を焼いちゃう話が記憶にあります

金海氏:

10ギガイーサで良く焼けてましたね。 2003年ぐらいですかね。 ホットステージを幕張メッセの隣にあるイベントホールで行ってた頃です。 当時、複数のベンダから10ギガイーサが登場し始めました。

高津氏:

そうですよ。当時は壊れて、いっぱい機器を変えましたね。 8ポート用意していたけど、受信する光が強すぎて4ポート焼けて壊れちゃったとかありましたね。 昔はXENPACK(交換できる光モジュール)とか、そういう文化じゃなかったですから。

金海氏:

焼けちゃったらモジュール取り替えです。 今みたいにXFPだけ交換とか出来ないですからね。 複数ポートがあるモジュールにビニールテープを貼付けて、焼けたポートをわかりやすくしたりしました。

高津氏:

そういうこともあって、昔は1dB単位でアッテネータをつけながらデシベル測って、ファイバをアルコパッドで奇麗にふいて、ファイバースコープでのぞいてゴミが付いていないかを確認して……「さあ挿すぞ」と覚悟を決めてから挿してました。 しかも、挿すのは必ずベンダの人が自分の機器にという形にしてました。 「絶対勝手にファイバを挿すなよ」と。

金海氏:

全ての可能性を考えて、色々な人と相談して、資料を全部見て、値を測定して、当時の状況としては万全の状態を整えたつもりになって「よしいけるぞ!」と覚悟を決めて、いざ挿してみると焼けたという感じでしたからね。

そこで、最後に光ファイバをポートに挿す責任は誰がとって、誰が実際に挿すのかという議題でかなり揉めた時期がありました。 NOCが挿すのか、コントリビュータが挿すのか。 最終的には、NOCが挿す横でコントリビュータが見守るか、コントリビュータが挿すという取り決めになりました。

高津氏:

今の伝送担当NOCにも引き継がれていますが、確たる手順が確立してきました。 当時、普通のオペレータが光ファイバなんて触ったことが無かった時代には、メタルと同じ気分で扱ってしまって、よくわからないけど挿してみるようなことをしてしまったですよ。 しかし、伝送系の人が光ファイバを拭いたり、アッテネータを使ったり、光を計測したりするのを見せて、「ああ、そういうのが必要なんだ」と学んで行ったというのはあります。

佐藤氏:

アッテネータといえば、そういうことが発生して、事務局でアッテネータを大量購入しましたね。 もう使ってませんが。

森川氏:

あー。うちもアッテネータ使わなくなりましたね。 当時はマージンがプラスマイナス3デジベルぐらいしかなかったんじゃないですかね。 プラスマイナス3デシベルで-8というと、-12から-5ぐらいしか許容しないわけですよ。 そこに-2を入れると、焼けるまではいかないにしても、途中でいきなりリンクダウンしたりしました。 -10ぐらいで持って行くと、夜中にいきなりリンクダウン起こすというのもありました。

でも、今は昔より受けるマージンが広がったので焼けなくなりましたね。 送信側で受光を見ながら調整をしていくというのもありますし。

Q: ベンダの方々は焼けた機器を持って帰ると何て言われるんですか?

一同ほぼ同時に:

怒られる。 怒られます。 滅茶苦茶怒られんでー。 (笑)

Q: どう怒られるんですか?

金海氏:

「ぼけぇー!」と。

高津氏:

当時の10ギガといえば、今この瞬間の100ギガイーサと同じ価値のわけですから。 世界にモジュールが何枚というレベルのものが「半分ポート使えなくなっちゃいましたー」と言ったら、どうなるかで、怒られるで済めば良いぐらいかも知れません。

森川氏:

どうしても困った時には、展示目的で持って来てあるブース側のモジュールと交換してもらうしかなくなる場合もありました。 そうなると、ブース側で予定していたデモができなくなるので、展示イベントのシナリオ作り直しも手伝うという作業もやりました。

Q: それでよく次の年もコントリビューションが実現しますね。。。

森川氏:

忘れちゃうんじゃ。。。というのは冗談ですが、やはりそれでも出すだけの意味があるのだろうと思います。

高津氏:

そこまでやって動かしたという証明が大きいですね。 それを社内で評価しているというのはあると思います。 今も、そういうのはあると思いますが。

不具合があったとしても、それを二日や三日で直してしまうメーカーやベンダさんが、その後残ってますからね。

Q: Webに掲載される情報が多くなり、ストリーミングなども一般化していますが、今、この時代にInterop会場まで行く理由はありますか?

中村氏:

全員がそこにいるというのが大事だと思います。 すなわち、機械を提供するベンダさんがいて、お客さんがいて、サービスをする人もいて、通信事業者もいると。 そうすると、方向性が見えてくる。

あるときは、みんながFDDIに行くんだなとか、あるときはATMが終わる感覚、ギガイーサがワーッと出て来ると。 それは、みんながその雰囲気を作っているんだなと思うんですよ。 みんなが来ていて、みんなが「これ面白い」と人だかりができて、で、それを追って行くという話だと思います。

で、その雰囲気をどれぐらい感じられるかというのもあると思うんですけどね。 僕らも、こうなるだろうと思って作ってないんです。 僕らとしては、こうだというのもあるんですけれど、でも、それは間違っているかも知れないと。

そこに、みんながワーッと来て、みんなでそこに方向性を作っちゃうんで、そこで何かを見極められるように、みなさまなって頂きたいという気がしますよね。

森川氏:

技術の優劣というのは単純じゃないということですね。 別にスピードが速いとか、そういうところだけで、これは使われる使われないというのが決まるわけじゃないところなんですよ。 本当に単純であれば、カタログスペックだけ見て全てものごと決まるわけですよ。 ただ、現実はそうじゃないと。

中村氏:

色々な立場で色々と感じ取る場だと思うんですよ。 もう、バリバリエンジニアで、今やらなければならないアイテムが今後どうなるかとか、そういうことを感じなければならない人もいますし、トップマネジメントとして今後の方向性というように凄く漠然とした話なのかも知れません。 IT業界全体として、これから生きて行けるのだろうかという、活気などを感じなければならない場合もあるでしょう。

それぞれ別だと思うんですけど、Interopは、みなさんがみなさんそれぞれで来て頂いて、やっぱり感じて頂くというのが出来る場だとは思うんですよね。

曽根高氏:

半分ぐらいの人は関係無いと思っているだろうというのもあるでしょうね。 興味はあるけれど、いわゆる、登録はしているけれども来場はしないという方々もいらっしゃると思うんですが、その方々は興味はあるけど、そこまで、足を運ぶまでには至らないというかですね。

中村氏:

幕張遠いですから。

あと、昔はシンプルだったんですよね。 だしものも少なかったし、トピックも、たとえば次に大事なテクノロジと言った時に、FDDIとか、ATMだとか、DSLだとか、ギガイーサだとか、いくつか時代時代でキーワードがあって、それが非常にシンプルでわかりやすかったんです。

でも、やはり2000年ぐらいから、僕らも「Interopって何?」とか、「今年のキーワードって何?」といったときに、「うーーーん。あまりにも多過ぎるよね」というのがあって、そういう意味ではキーワードがボケちゃってるというのもあるのかも知れないと思います。

だから、逆に来る人にとって、「今年は何なの?」と言われた時に「うーーん」となってしまうと、足を運べなくなるという話なのかも知れないですね。

森川氏:

そういう方向性がいっぱいあるからこそ、来て欲しいというのはあるんですけどね。

中村氏:

いや、まさにその通りです。 色々あるからこそ、やっぱり、色々、来て見て感じて欲しいですね。 このへんのメッセージ性が、なかなか難しいですね。

森川氏:

やっぱり見て感じて頂くのは大事ですよね。 オンラインで出来る事も増えましたが、現場で感じることの大切さはむしろ上昇したのかも知れません。 「今年はATMだ!」と例えば当時のInteropでテーマとして言ったとして、それがわかるのであれば会場に行かなくてもよかったわけじゃないですか。

高津氏:

アメリカでやっているのが日本に来るからという理由も昔はあったのですが、最近はInterop開始当初よりもアメリカなどに見に行きやすくなったという違いもあるんですかね。

森川氏:

海外に見に行くのは別ですよ。 あれは、実際に行って話をして聞き出してみないと、本当のところがわからないことが多いから行くんです。 本当に動くか動かないかは、自分の目で見てみないと信じられないことも多いです。

あとは、力加減や反応はレポートじゃあわからないというのもあります。 なおかつ、報道の記事だけを信じるわけにはいかないというのもあります。

たとえば、各ブースのメインステージで行われるプレゼンにしても、その内容も聞くんですけど、まわりの聴衆の反応も大事な要素です。 目のきらめきかたとか、うなずきかたとか。 で、「このストーリーはウケるんだな」と。

これからのマーケットの流れが見えにくいからこそ、やっぱり展示会は行くんだと思うんですよ。 逆にいうと、Webで情報が溢れ過ぎていて、たとえば「クラウド」というキーワードで検索すると、色々な解釈が溢れてるわけです。 で、どれがよいのかわからないからこそ、こういう場に足を運ぶんだと思うんですよね。

曽根高氏:

出展社側も何を出したら良いかわからないというのがあるのかも知れませんね。

森川氏:

出展社側も賭けですよ。 だから、反応を見るためにやってるという側面もあります。 展示会は一方通行だけではなく、インタラクションが大事なんですよ。

中村氏:

不景気になると展示会に出しにくくなるという話はあると思いますが、そのような場合には、みんなが既にわかっているメジャーな大物系を出すよりも、昨年のOpenFlowのような面白いものを出してみて反応を見るのがいいんじゃないですかね。

森川氏:

この前、ある学会でも話して来たのですが、ベンダって市場で露出するタイミングが上手ではないと思うことがあるわけです。 たとえば、プロトタイプが出来ているのであれば、学会じゃなくて展示会で出せばいいと思うんですよ。 ところが、5年間同じテーマで学会に出してたりするんですが、そうすると凄く真面目にやってるわけですから、製品の出来は凄く良くなって行くんですよね。 でも、ずっと学会にいると。

中村氏:

Interopに研究開発したものを出して、商売に結びついたITベンダーさんもいます。 最近は放送局もIP網を使って映像伝送を行うのですが、その時に使うためのエンコーダが売れています。 ずっと研究所が開発されていて、Interopに出品されたんですが、それがバカ安いんですよ。

何故安いかというと、テレビ業界用のビジネスをしている人達は、トラディショナルな価格の付け方をします。 そうすると、1台エンコーダが凄い値段するんですよ。 でも、ITベンダーさんのコンセプトから行くと、数十分の1の値段でも利益がでちゃうということになっちゃいます。 そういう根付けになるじゃないですか。 それがパッと出たときに、そのようなITベンダーが取っちゃうんですよ。

ビジネスをやっていると、自分のフィールドでやろうと思うじゃないですか。 でも、ちょっと違うフィールドにいくと、ちょっと変えただけで、全然そっちで売れちゃうということも起きるのだろうなと思うんですよ。

凄く多様な企業がInteropを使って行ってくれると嬉しいんですけどね。

Q: 今後のInteropに求められるものは何だと思いますか?

曽根高氏:

「ゆでガエル現象」という単語があります。 本来使われている意味の茹でガエル現象は通常はネガティブな意味で利用されるのですが、「徐々に変化していく」というのが大事だと思います。

自分が入った時から、徐々に技術が変化して行って、気がついたら徐々に温度が上昇して行って、みんな一緒に気分を共有しながら茹でガエルになっていくのが「いいなぁ」と。 ワイヤレスしか知らなかったような私がここに入って来て、それとは別のところの技術の人達が、同じ所に集まって来て、みんなが茹であがってるというかですね。 みんなが「ここ、気持ちいいよね」と言うんですよね。 それが、この場であったら良いかなと。

とにかく、入り口からトガっているので、入らない人が出てしまうというのが最近の課題かも知れませんね。 入り口からトンガリ過ぎていて、最近はテーマに入って来れない人が増えている可能性はありますよね。

中村氏:

そうですね。それはですね。 多くの人々の興味の対象が上の方へと最近は移っているという流れはあるでしょうね。 クラウドやHTML5とかですね。

昔はネットワークがボトルネックだったのが、それが解消して、今は、ほとんどの一般ユーザにとってネットワークは未知の存在になっているのかも知れませんね。

高津氏:

もうね〜。ネットワークは、止まらない限りは不満は無いというぐらいになっているかも知れませんね。

森川氏:

でも、マーケットは伸びてますよ。 IT投資の総額は増えてると思いますよ。 従来はIT予算を作ってなかった業種の企業が予算化するようになった分だけ増えてますね。 通信機器メーカで、平均的な製品単価が下がりつつも、総額は伸びているという会社もありますね。 マーケット的には悲観的ではありませんね。

通信に求められる傾向が変わって来ているということではないですかね。 ここ数年のInteropに出て来ている機器も、その傾向があると思います。 色々と変わって来ているのは実感しますね。

あきみち:

ありがとうございました。 今回は2000年前半ぐらいまでの話だったので、 次回はここ数年Interopや、そこに登場する機器の傾向を聞かせてください。

ありがとうございました!

インタビューワーより:

従来はInteropに関わる人からInteropそのものに対して否定的な感想を述べているような記述が外に出る事はありませんでしたが、もう赤裸々に公開してみてはどうかということを提案してみました。

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