理系学生が論文を書くべき利己的な理由

2007/5/8

私は理系学生は出来るだけ大量に論文を書いた方が良いと思っています。 大学に残りたい人以外にはあまり意味がないと思われがちな論文書きですが、将来大学に残りたい人と同様に、将来就職をするつもりの人も論文を書くべきだと思います。 今回は、大学に残るつもりが全く無い人も論文を書くべき理由を書いてみたいと思います。

就職に有利になる

最近の就職活動では、人事担当者がGoogleなどで応募者の名前を使って検索をする場合があります。 「私は学生時代に○○の研究をしていました」と胸を張って説明しても、論文が一つも検索で出てこないようでは信憑性がなくなってしまいます。 同じような研究をしていた応募者が二人いて、論文をたくさん書いている人と全く書いていない人がいれば、多く論文を書いていた人が有利になる場合があります。

技術者の中には、不必要な資格は実践では役に立たないと思っている人もいます。 また、採用側に論文を書いたことがある人がいれば、論文を書くことの大変さを知っていると思われます。 そのため、恐らく資格を持っているよりも論文を多く書いている方がポイントは高くなると思われます。

自分の成果を体系的にまとめる練習になる

論文を書くには、何故その研究が必要であるかという事から、その研究の結果どのような未来が創造できるのかまでを順序だててまとめる必要があります。 そのようなまとめを何度か繰り返しておけば、何かを技術的に説明する練習になります。

将来、論文は書かなくても報告書は書くかも知れません。 報告書を論文調に書くのはあまりお勧めしませんが、体系的に何かをまとめた経験があるのと無いのでは、いざと言う時の適応度が違ってきます。

成果をアピールをする練習になる

多くの論文では、自分の研究がどう凄いかをアピールしなくてはなりません。 全ての論文が革新的で斬新であるということはあり得ないので、多くの場合、ちょっとした事を「これは凄い」「意味がある」と言わなくてはなりません。 そのような経験をしておくと、将来、給料査定などでちょっとしたことを大きく言わなくてはならない時に役に立つかも知れません。

また、本人が「ちょっとした事」だと思っていることでも、実は他人から見たら凄い成果なのかも知れません。 取りこぼしが発生しないように、細かいことまで成果としてリストアップできるようになる練習という意味でも良いかも知れません。

人前で発表をする練習になる

発表が必要な論文もあります。 論文の発表練習をしたり、実際に発表を行うという経験は非常に貴重です。 うまく発表が出来る人と出来ない人では、将来の収入に差が出る場合もあります。

勉強する必要性が発生する

論文としてまとめるときには、背景となる技術などを文章にしなくてはなりません。 中途半端な知識では、文章は書けません。 そのため、知識が欠落している部分は勉強をしないといけなくなります。

何も無いところから勉強をするのは非常に難しいです。 一方、このように必要に迫られて、しかも期限(論文〆切)がある状況で行う勉強は中身の濃いものになりがちです。

自分の本棚に飾れる

論文誌として刊行されれば、自分の本棚に飾れます。 将来、自分の子供に自慢できるかもしれません。 (大抵の場合は恥ずかしくて見せたくないと言ってしまう気がしますが。。。)

研究室の仲間と濃いコミュニケーションになる

論文を書くことはコミュニケーションのきっかけになります。 学生が論文を全く一人で書くという事は少ないと思われます。 研究室の先生、先輩や仲間とコミュニケーションを取りながら書くのが一般的です。

また、研究室では論文を書いているという事実は「やる気があって、がんばっている」と評価されることが多いです。 そのように評価されている人は、将来研究室を出ても昔の仲間に信頼され続ける可能性が高くなると思われます。 (まあ、ケースバイケースでしょうけど。)

まとめ

ということで、理系の皆様、人生から見ると短いと思われる学生生活で論文をいっぱい書いてみましょう。 きっと良いことがあると思われます。

「そう言うお前はどれだけ書いたんだ!」という質問はあらかじめご遠慮願います。 「あははははは。。。。。」としかお答えできないと思います。

これから論文を書く若者のために

酒井 聡樹 (著)
¥ 2730 (税込)

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