失敗の可視化

2007/11/19

「失敗を未然に防ぐアドバイスを適度に行う人」というのは非常に偉大な存在であるにも関わらず、なかなか評価されにくいのではないかと思う事があります。

逆に、「何かを大成功に導いた人」や「大失敗の後始末で落下傘部隊として投入される人」というのは目立つので、評価されやすい傾向があるのではないかと思います。

これらの違いは何だろうか?という疑問を脳内で考えていくと、「失敗の可視化」が足りないのではないかという結論に達しました。 失敗を適度に回避して問題なく事を遂行すると、全てがスムーズに進みます。 まるで、何も障害など無い状態で全てが行われたようにスムーズに全てが進むと、実は危険を回避してくれた人があまり目立たずに終わってしまいます。

これは、知らない土地で運転していて裏道を通った時に似ているのかも知れません。 「いつも渋滞をする」「普通なら1時間かかる」といった「失敗」の状態を知っているときに、裏道を使って15分で目的地に着いた場合、裏道を指導した人は非常に感謝されます。 しかし、非常に時間がかかるという「失敗状態」を知らない人ばかりが裏道を指導されて通っても、「ふーん。ありがとう。」で終わってしまいます。 そこに感謝はあまり発生しません。

色々考えると、その他の事象でも同様の事が発生するのではないかと思いました。 例えば、同時に別のプロジェクトがあって、ある判断の分岐が自分のプロジェクトと相手のプロジェクトで逆になったとします。 逆の判断をしたプロジェクトが失敗した場合、分岐点で判断をした人は「偉い」と言われると思いますが、どこか別のプロジェクトが失敗しているのを見なければ、その分岐点での判断を覚えている人は誰もいない状態になるのではないかと思います。

このように、正当な判断というのは「失敗が可視化」されるものだけが評価されるのかも知れないと思いました。 色々なニュースなどを見ていても、それを思う事があります。 「あのときの対応がこうだったからいけない!」という話を良く見ますが、「あのときの対応がこうじゃなかったらこうなってた!」というのが見えないので、現場ではそれが最良の判断だったとしても、他者から見ると批判する材料になることもあるのではないかと思う事があります。 現場ではそれが最良と思われる判断をして、それで酷く批判されたりしたら非常にめげるだろうなぁと。 (もちろん、批判されるべくして批判されるものも多いとは思いますが。。。)

成功を証明するのも大事ですが、地味なところではどうやったら失敗をシミュレート(実感)できのかというのも非常に重要であると思った今日この頃でした。

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