「教える」こと、「学ぶ」こと

   このエントリをはてなブックマークに登録    2017/6/12-1

最近、「教える」とか「教わる」というのは、どういうことなんだろうと考えることがあります。自分ではない誰かに何かを「教える」というのは非常に難しいし、「教えたい」とか「伝えたい」と思うことは自分勝手であり、最終的には教わる側に主体性があって「教えて欲しい」という内容に沿ったものをどれだけ提供できるのかなのかなぁというのが最近の感想です。

新しいことを学ぼうとするとき、最終的には「自分で発見」をしないと覚えないし身につかないという感想を持っています。たとえば、授業のような形式でひとりの講師が多くの聴衆に対して講義を行っているような場合でも、その講義のなかから聴衆側が各自で小さな「自分の発見」をしていて、そういった「自分の発見」が「教わる」ということなのかなと。

最近は、スポーツ関連の勉強をしつつ、自分自身でも少しずつトレーニングを開始しています。40過ぎですが。 プロのトレーナーの方々向けの媒体などでは、「教え過ぎは良くない。自分で発見しないと身につかない。」といった感じのノウハウが伝えられることがあります。それを見て、「ああ、コンピュータ関連も同じなんだろうなぁ」と思いつつ、「身につける」という意味ではスポーツ系のノウハウとコンピュータ系のノウハウは似てるんだなぁと思います。

たとえば、ドイツの発生学者ヴィルヘルム・ルーによる「ルーの法則」をもとにして考えられた「トレーニングの7原則」というものがあります。トレーニングの7原則は、次のように説明されることがあります。

  • 過負荷の法則:日常よりも強い刺激によって体力レベルが向上する
  • 漸進性の法則:レベルに合わせて次第にトレーニング内容を高度にしていくことこと
  • 継続性の法則:目的にあったトレーニングを継続する必要がある
  • 特異性の法則:目的にあったトレーニングを行う必要がある
  • 全面性の法則:様々な要素をバランス良くトレーニングすること
  • 個別性の法則:個人差を考慮すること
  • 意識性の法則:行っている内容を理解したうえでトレーニングを実施すること

これらって、本当に、そのままコンピュータに関連する教育でも、全く同じことが言えると思います。 人間が何かを覚えたり、何かの技能を上達させるという意味では、スポーツのトレーニングもITのトレーニングも同じかも知れません。

私が、「あ、コンピュータの世界だとこれは忘れがちかも」と思ったのが「漸進性の法則」です。 レベルに合わずに高度過ぎる内容を勉強しようとしても理解できないことが多いですし、簡単過ぎても勉強する気になりません。 レベル感が合わない内容を押し付けても、身につかないのです。 何十人も集めた講義で、レベル感が合う合わないが発生するのは、こういう部分を含めてあるんだろうなぁと思います。 各自のレベルに合うように教えるには、勉強する本人が興味を持った内容に対して答える方が効率が良いのは、こういう面もありそうです。

教わる本人の興味が大事というのは、意識性の法則や個別性の法則にも関連しそうです。 価値観、感覚、コツ、カン、といったものは教える側ではなく、教わる側の中にあって、教える側にはありません。 たとえば、全く同じ技術文書を読んだとしても、読解は読者の側に存在しているのであって、文章を書いた側は読者の読解を可能な限り誘導することしかできません。 ある特定の技術に関して、自分の感覚を人に押し付けてもうまくいかないことが多いですし、自分と他人は感覚が違うという発想を持つことが大事であると、最近は強く思います。 ここら辺の話は、運動学というジャンルで語られることが多いようです。

人々は自分の感覚でしか理解できないのですが、新しい感覚に気がつくきっかけを作るのも大事です。 各自が自分の中にある「新しい感覚」を発見するのための環境作りです。 そもそも、「自分の中にある感覚」という概念そのものを自分で発見することも大事かも知れません。 本人が自分の中にある感覚という概念を理解しつつ、それを追求できるようになれば、あとは自然に疑問が湧いてくるので、「教える側」は、それに答えていくという方法を取れば急激に伸びていたのが、過去に「あー、何かこの人は急激に伸びてるなぁ」と過去に思っていた環境だったと回想することがあります。

よくあるのが、教える側が「何でわからないんだ!」と文句をいうことです。 過去の自分への反省を含みますが、「何でわからないんだ!」と言うのは教える側の焦りだし、教える側の無能さを表す表現だと最近は思うようになりました。 逆に、わかろうとしない相手には、何を言っても、何をやっても無理であることが多いので、「わからせよう」と思うことそのものが間違いなのかも知れません。

結果としては「教えている」とも言えそうですが、存在しているのは「自分での発見を誘導」だなぁと。 そして、何かを自分で勉強したいと思ったときには、自分自身が積極的に「学ぶ」ということに対して積極的にならないと勉強ってできないし、同じような勉強をしていても個人差が出る要因のひとつとして、こういう話もありそうだなぁと。 口を開けて待っている小鳥のようなことしていても、身につかないのはこういうことだろうなぁとも思います。 人は、教えられたことを自分の中で「発見」して初めて理解するのであって、教え込まず自分自信での発見を促すことを目指したいと思う今日この頃です。

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