距離があるのがいい

2010/4/14-3

この前、昔よく通っていた立ち喰い蕎麦屋に寄って、たぬき蕎麦を食べました。 よく通っている頃に、おばちゃんと仲良くなって色々話をしていたのですが、最近は全く行ってませんでした。

数年ぶりぐらいに行った蕎麦屋ですが、おばちゃんはどうも覚えてくれていたようで「あれ?久しぶりだねぇ」という話になりました。 そこで、いつものように、たぬき蕎麦を注文して七味唐辛子を大量に入れて食べたのですが、その間、桜の話やら、寒いだの暑いだのというどうでも良い話をしてました。

蕎麦を食べ終わって店を出る時に、おばちゃんに「また来てね」と言われて出たのですが、店を出てから歩きつつ「中身がない話を色々としたなぁ」と思いつつ、「それが良いんだ」と思いました。

昔から、蕎麦屋のおばちゃんとする話は、いつもどうでも良い話ばかりでした。 あまりにどうでも良い話なので、何を話したのかも覚えてません。

しかも、あれだけ長い間「知り合い」なのに、お互い全く相手の事を知りません。 お互い名前も知りませんし、お互い年齢も知りません。 私はおばちゃんがそば屋だとわかってますが、向こうは私の職業も知らないだろうと思います。 そう考えると、現実世界でいつも顔を合わせていても、お互い匿名性が高い状態を保ち続けてるんですよね。 ある意味、ネット上でのやり取りよりもよっぽど匿名性が高いです。 恐らく、お互いにとっての「匿名性」が無難な距離感を産み出して、なんとなく知り合いっぽい雰囲気を作っているのだろうと思います。

で、何が言いたいかというと、「距離」って大事なんだなぁということです。 お互い素性を何も出さないのが、無難にバーチャルな知り合い関係を保つには良い場合もあるんだなぁという感じです。

恐らく、私がコンピュータの話を色々しだすと相手はドン引きします。 また、例えば「最近の政治」とか「神を信じますか?宗教ってどう思いますか?」みたいな話をして、相手が自分と全く異なる思想を持っていた場合には、フレンドリーな雰囲気は長くは続かなそうです。

で、こういう感覚はネット上でも同様にある気がしています。 人としては面白そうだけど、方向性や思想がどうしても合わない人というのは、深く付き合い始めてはじめてわかったりします。 もしくは、最初は面白いと思っていた人のTwitter上での発信を見ていたら、徐々に幻滅していくというのも、「相手を詳しく知ってしまう」というのが原因の一つとしてありそうです。

全ての場合で無難な距離を取り続けることが良いとは思いませんが、良好な関係を維持するために「隠す」というのもスキルなんだろうなぁと思う今日この頃です。

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