音楽の解放

   このエントリをはてなブックマークに登録    2009/4/3-1

「音楽は無料で配るべきだ!」「音楽を無料で配った方が儲けが大きくなるはずだ!」という論調の文章を見ることがあります。 そのような文章を見る度に、「作る側の人って圧倒的な少数派で、無料で欲しい人が多数派だなぁ」と思います。

つい最近も「techcrunch : 音楽を盗むこと: それは悪か善か?」という記事が話題になっていました。 そこでは、以下のように書かれています。

そのうち、インターネットの現実も法律の改正を強要するだろう。いずれにしても、レコード会社は最後には降伏するし、録音された音楽は無料になる。

そうなるまでは、音楽のダウンロードや共有化を後ろめたく思うことを拒否したい。なにかの曲を聴いたり、友だちと共有するたびに、レコード会社にとって有利なことをしているのだ※。だから彼らこそ、ぼくたちにお金を払うべきだ。その日が来るまでは、ぼくが倫理的にいけないことをしているなんて考えたり言ったりしないでほしい。中国では、レコード会社が、それはまったく合法的だと、にこにこ顔で認めているのだから。

昔なら「正直、音楽は無料で手に入った方が嬉しい」と思っていました。 でも、自分で文章を書くようになってから「生産することの時間と労力」とか「生産する側と消費する側の比率と、議論をしたときのマジョリティ」などに関して色々考える事が増えました。

あと、元ネタの文って戦略的に無料開放しているコンテンツと、有料だけど勝手に無料で使っているコンテンツという違いをほぼ無視していて、有料音楽コンテンツしか世の中に無いような感じのイメージを受けました。

以下、音楽と無料化などに関して色々書いてみます。 まあ、ほとんどは良く言われている話で、何か同じようなネタが一定期間毎にループしいるだけのような気もしていますが、そこら辺は素人の私が書いている文章なのでご容赦下さい。 基本的に、この文章は単なる個人的な感想文でしかありません。

皆は無料で音楽を手に入れられる方が嬉しい

全く同じ品質の物を有料で得るのと、無料で得るのであれば、多くの人が無料版を選ぶと思われます。 アーティストとか音楽産業の存続とかは、多くの人にとってはどうでも良い事で「それが、今その場で無料であること」が多くの人の喜びだろうと感じます。

そして「欲しい」と思う人の数と「提供する」人の数を比べると「欲しい」と思う人の方が圧倒的な多数派です。

有料と無料が混在するソフトウェア

目に見えない無形のものという意味ではソフトウェアも似ているのかも知れません。 現在のソフトウェアには無料のものと有料のものがあります。

オープンソースソフトに代表される無料のソフトウェアは、現在では多くの場面で無くてはならない社会基盤にまでなっています。 オンラインサービスとして無料で提供しつつ、広告費で運営者が利益を得るという仕組みによる無料化に対する模索も進んでいます。

一方で、品質の高い有料ソフトウェアも未だに数多く販売されています。 そして、有料ソフトウェアは非常に大事な場面で利用される事も多く、それ無しでは世界は成り立たないだろうとも思います。 さらに、商用ライセンスだけ有料というようなオープンソースソフトもあります。

無料ソフトウェアだけで生活することも可能ですが、やはり完全に全て無料ソフトウェアだけというのは未だに敷居が高いと言わざるを得ない状況だと思われます。 そして、現在の世の中は無料ソフトウェアと有料ソフトウェアが混在することを当たり前のように受け入れています。

このようにソフトウェアは有料版と無料版の棲み分けが行われている気がするのですが、音楽に関しては未だに有料と無料の混在方式があまり明確ではないような気がしています。 いや、明確は明確なんですが、多くの人々が有料版を無料で欲していつつ、無料版には見向きもしないことが多いイメージを持っています。

無料化を叫ぶ心理的メカニズムって何だろう?

何故人々は音楽を「無料化しろ!」と叫ぶのでしょうか? 他の物に対して「無料化しろ!」と言わない人であっても、「音楽を無料化しろ!」と言ってしまう心理はどのようなメカニズムで生成されるのでしょうか?

例えば、八百屋に並んでいる白菜を「全て無料化しろ!」と主張する人は滅多にいません。 同様に魚屋に並んでいるアイナメを「無料化しろ!」と主張する人もいません。 これは物理的に何かが見えているからなんですかね?

電車の乗車料金を「全て無料化しろ!」とか、駅などにある手もみマッサージサービスや美容室での散髪を「全て無料化しろ!」と言う人も滅多にいません。 これは、人が何かの労働をしているところが見えるからなんですかね?

物理的な書籍を「全て無料化しろ!」という人はさほど多くない気がしますが、「書籍の文章を無料でネットで全て公開しろ!」と主張したり、かなりの量を公開しちゃった某企業は存在しますね。

テレビで流れる映像を「全てネットで公開しろ!」と主張する人はある程度いる気がしますね。

ということは、目に見えない無形のものほど「無料で公開しろ!」「無料で提供しろ!」と言いたくなるのでしょうか? 「無料にして欲しい」と思うものの基準は何となく感じるのですが、何故そう感じるのかに対する仕組みにも興味があります。 無形のものの価値を認めつつ、価値を認めてないという不思議な状況があるんですかね?

人々はコピーが容易だと「無料にしろ」と言い出す?

昔は有料ソフトウェアを「無料にしろ!」と叫んでいる人が今よりも多かった気がします。 しかし、最近はそのような主張が減ったようにも思えます。

個人的な感想としては、各種有料ソフトウェアがアクティベーション機能を実現するようになってから「無料にしろ!」理論が減った気がしています。 まあ、個人的な根拠のない個人的な感覚なので何とも言えませんが、もし、本当にそうであるならば違法コピーの難易度の上昇してから「無料にしろ!」主張が減ったという感じになるのかなぁと思うことはあります。

また、例えば音楽CDのコピーは商用DVDよりもコピーに対する敷居は高くなります。 そして、音楽CDの方が映像DVDよりも「無料にしろ!」主張が多い気がします。

簡単にコピーできるものほど「無料にしろ!」と叫びたくなるのでしょうか? 何の根拠も無いのでアレですが。。。

それとも作るための労力が想像できないから?

無料にして欲しくなるのは、人が時間をかけて製作している姿が想像できないからですかね? 野菜であれば生産している姿が想像できますし、魚であれば網を海に入れたりしている姿が想像できます。

一方で、音楽を作る姿って歌ったり演奏したりという瞬間だけで、その前のゼロから何かを作り上げる過程って恐らく全然想像つかないのですよね。

でも、これはソフトウェアやWebデザインなどでも同様なのかも知れません。 設計を悩んだり、アイデアが出るまで苦労している時間って、普通の人には想像もできないのでやたらと「何でそんな高額になるのか理解不能」とか「ぼったくりじゃないの?」という意見が多くでるのだろうと思います。 まあ、本当にぼったくってるところもあるのかも知れませんが。

ああ、レモン市場。

無料化は巨人をより巨大にするかも知れない

今ならば「高品質な無料音楽を配布する」という手段を使って駆け出しのアーティストが自分を売り込むという事ができるかも知れません。 (もう既にそのような事をされているグループもネット上に色々ありますが。。。)

でも、仮に商業的に音楽を生産している団体が全ての有料音楽を無料にするとどうなるでしょうか? 今よりも、もっと音楽への敷居は上がるような気がします。 時間をかけて作り上げた物を無料で配ったとしても、何らかの別の方法で利益を得られるような体力を持った人だけのものになるのかも知れません。

駆け出しアーティストは「無料配布」という武器を一つ失う事になります。 頑張って無料公開しても「そんなの当たり前だろ」と冷たく言われてしまうかも知れません。

無料化への波は巨人だけが生き残れる世界を構築していくような気がします。 まあ、それでも世界は無料化へと進んで行くような気はしていますが。。。

例えば、この前アメリカへ出張へ行った人が言うには「アーティストのテレビコマーシャルがCDアルバムじゃなくてコンサートばかりだった」と言っていました。 有料全盛期にお金を貯めて裕福になったり、経費を捻出出来る時代に宣伝に多くの金額を投資出来た人にさらに注目が集まり、新しく駆け出す人々は非常に困難な道を歩まざるを得ない状況になっていくのでしょうか? そういう意味では、今は皆が逃げ切り型狙いになるんですかね?

そして、数年後には日本でもそのような傾向になっていくのでしょうか?

音楽を解放したければ無料版を流行らせればいい

有料の音楽を無料にすることを音楽の解放だと主張する文章に出会うことがあります。 しかし、そのような「解放活動」には個人的には反対です。

音楽の解放は、きっとクリエイティブコモンズなどの音楽を聴くことであって、有料で売られている物を無理矢理無料化させるために頑張ることじゃないと思うんですよね。 クリエイティブコモンズじゃないにしても、作成者が自ら公開している曲もいっぱいありますし。 例えばアメリカのNerdcore系の音楽とか、結構無料配布してます。

思想として無料で配布されている音楽を聴くという選択肢は今でも既に存在しています。 実は多くの人が「無料音楽を聴いていない」というだけなんですよね。

今現在、無料で配布されている音楽を聴いて「無料で配られているのは質が低いから嫌だ」というのであれば、それは何かが矛盾している気がします。 それって、有料でなければ音楽の質は保てないという前提になってませんか?

本当に音楽が有料であることに憤っているのであれば、質の高い無料音楽に関しての啓蒙活動をするのが個人的にはお勧めの活動です。 一歩進んで高品質な作品を自分で作って無料で公開するのも良いだろうと思います。 ボーカロイドなどを使って歌を歌わせるという手法もアリではないでしょうか。

無料だからといって自由に再配布していいわけじゃない

ただ、注意が必要なのは「無料だから再配布OK」という話にはならないだろうことです。 さらに、原盤が無料で配布されていることと、自由に編集をして良いことも別の問題です。 例えば、無料で配布されている音楽であるからといって、第三者が自由に張り合わせて新しい物を作って公開しても良いというわけではありません。

恐らく作成者の意図や戦略というものがあり、無料には無料なりの各種ライセンスというものが出来上がるのでしょう。 どのようなライセンスの物が世界を制するかは、様々な試みや運用の積み重ねで決まって行くのだろうと思います。

しかし、無料版では有料版とは違い、再配布や編集に関してのアーティストの意図などに関して人々はより鈍感になるような気もします。 「無料で配られているものを自分で自由に編集して何が悪いんだ!」という話は出るような気がしています。

有料版は有料でいいと思う

有料版を「無料にしろ!」と叫ぶのは、有料である作品の価値を認めていることだと思います。 仮に、有料よりも無料にした方が儲かるのが事実であったとしても、それを選択できるのはアーティストなどの製作者であるべきだろうと感じています。 また、アーティストに対して投資をしている存在でも良い気もします。

有料や無料という選択の結果に対するリスクを負うのは製作者です。 そのため、有料と無料という選択肢を誤ったが為に大きな利益を失うのも製作者です。 そこには恐らく「ひどさ」は無い筈です。 一般の消費者が出来るのは「損してるなぁ」と後ろ指を指すぐらいでしょうか?

もしも音楽が有料であることが「ひどい」と思うのであれば、有料音楽業界を潰すために積極的に良質の音楽を生産し続けながら無料で公開し続けるのが良いだろうと思います。 そして、無料音楽生産で大成功して大金持ちになって下さい。 大成功のビジネスモデル構築ほど何かを破壊する威力があるものは無いだろうと思います。 これは嫌みではなく半分本気で書いています。 誰かが無料音楽でゼロから大成功するまでは、世界は変わらないのだろうと思っているからです。

着メロにはお金を払う不思議

携帯電話の着メロや着うたにはお金が支払われているようです。 これって何故なんでしょう? 非常に不思議です。

システムや生態系が出来上がれば、人々はお金を払うという例なのでしょうか? 「何故人は着メロにお金を払うのか?」という研究論文ってないのでしょうか? あったら是非読みたいです。

NGNで何か変わる???

課金ありきな生態系やシステムが存在すれば人々は音楽にお金を払う、というのが真であればNTTが進めるNGNによって音楽産業が変わったりすることがあるのでしょうか?

携帯電話並みに統括された認証+課金付きシステムで日本国内全部をカバーして大規模になるインフラといえば、恐らく携帯電話の次に大きくなるのはNGNだと予想しています。 人々が意識しようとしまいと多くの人が今後NGNに組み込まれて行くのでしょうね。 FletsでNGN以外は選びにくくなってますし。

まあ、NGNの場合は入り口(手元)のUIを携帯電話並みに強くおさせているわけではなかったり、持ち運ばれるものでは無いので音楽に関しては関係があるかどうかはビミョーといえばビミョーですが。 あと、NGNはISPとの相性とか、IPv6問題とか様々なアレを抱えてはいるのですがね。。。 (それはそれでまたの機会に書くかも知れません。ということで以下略。)

最後に

10年後の音楽ってどうなってるんですかね?

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