ブログと「つながり」

   このエントリをはてなブックマークに登録    2008/10/15-1

ブログを軸としたブロガーと読者の「つながり」について、何か非常に目が覚めたような気分になりました。 先日読んだ「Exploring the Role of the Reader in the Activity of Blogging」という論文がきっかけなのですが、ブログを書き始めてから今まで自分が見落としていた点が満載のような気分になりました。

この論文では、読者がコメントなどのインタラクションをブロガーと一切しないにも関わらず、ブロガーとの一体感を味わう事があったり、喫煙のように慣習として特定のブログを読み続けるような行動をとるなど調査結果がまとめられています。

1.「つながり」を感じて頂いていると感じることがある

今回の論文を読んで、ブログを通じた仮想的な「つながり」を感じていただけていると感じていた事が実は多かったという感想を持ちました。 今まで、全く意識をしていなかったのですが、思い返せば「つながり」を感じて頂いたうえでの行動なんだろうなぁと思う挙動をログ上から推測するような事例はありました。

身近な事例だとコメント欄やソーシャルブックマークへの書き込みや、ブログでの言及などがあげられます。 また、newsingなどのソーシャルニュースサイトに対して、私の書いた記事を紹介して頂ける方がいらしたり、「ここ読んでるけど読んでみたら?」と知人に勧めていただけたりというのも「仮想的なつながり」によるものなのかも知れません。

オンラインでの「つながり」が実世界に活きる場合もあります。 初対面であっても、私のブログの存在を知っている方であれば、自己紹介が手短に済みますし、その後の話も非常にしやすいです。 逆もまたしかりです。

ただ、これらの表層的な「つながり」ではなく、表に出てこない「つながり」こそ実は重要であると今回思いました。

2. サイレントマジョリティからの「つながり」

ブログ読者の大半はコメントやソーシャルブックマークによる言及は行いません。 何らかの行動を起こしてフィードバックを頂ける読者は、ほんの一握りです。 1万回表示されても、コメントがゼロという場合もあります。 ただし、コメントなどの個数は記事の内容に左右されることが多いです。 表示回数が少なくてもコメントが非常に多い記事もあります。

サイレントマジョリティであるほとんどの読者はただ読むだけで、自分の心の中で感想を形成して去って行きます。 場合によっては、記事を読んだ感想も瞬間的に発生するだけで、次の瞬間には全く違う事を考えています。

このような読者からの「つながり」は今まであまり意識していませんでした。 というよりも、意識できませんでした。

しかし、言われてみれば確かに「つながり」はあるような気がします。 ただ、この場合の「つながり」は読者側の心(意識/知覚/認識)の中にあるものなので、表面化することはほとんどありません。

3. RSSリーダと「つながり」

場合にっては、RSSリーダに登録するという行動などとも関連がありそうです。 RSSリーダに登録して定期的に文章を読むようになってから、書いている「中の人」に興味を持つような流れがありそうです。

また、一度RSSリーダに登録したブログを読み続けて、ある程度経ってから興味がなくなったとしても惰性で読み続けるというパターンは、ある種の「つながり」を読者側が感じるようになって切り捨てにくくなるために発生している場合もありそうです。

4. ブログは1対1の集合による1対多

論文を読み終わって、今までの自分の認識が誤りであったことがわかりました。 私はブログが1対多の媒体であると感じていました。

ブログを書いてるとネットという雲のようなあやふやな海に記事を投げ込んで、それを自分が認識できない状態で購読されていくような感覚があります。 そのような意味で、書いている側からすると1対多です。

そのような認識である場合、読まれた回数、すなわちPVやUnique Usersなどは「人」ではなく「数値」です。 そこには「人」のぬくもりを感じません。 PVが大きければ「たくさんの人に読まれたなぁ」という感想になるかも知れませんが、その時の「人」は「人」ではなく「数値」に近い気がします。

しかし、実際には一つのPVも一人の人が発生させています。 自分が読者になったときを想像するとわかりやすいのですが、読者の側からすると読者である「自分」が中心です。 そのため、読者側の立場で考えるとブログは1対1の媒体です。

その1対1が複数集まって、結果として1対多になっているというのがブログの現状なのではないでしょうか。 初めから1対多であると認識するのと、1対1が重なって個々との仮想的な対話という概念が集約されて1対多になるという認識は、私の中では多少違っています。 ここら辺の表現は人によって違いそうですが、今回、「やっぱり1対1なんだなぁ」と思いました。

1対1が急に現実味を帯びる瞬間もあります。 例えば、コメント欄にいつも同じハンドル名でコメントを頂ける方や、ソーシャルブックマークなどで「お会いする」方々とは間接的な1対1の気分になります。 また、オフ会や、偶発的に読者の方とお会いするような事があると、その瞬間から急に1対1になります。

5. 読む立場と書く立場は別

ブログで面白いのは、ブログ著者は得てしてブログ読者であることです。 ブログを読むだけで書かない人は多いですが、ブログを書いている人は何らかの形でどこかのブログを読んでいる場合が多いです。

そして、ブログを書くときの自分とブログを読むときの自分を客観的に見ようとすると、面白い発見ができるような気がします。 少なくとも、私はブログを読む自分を再度考察してみたところ、色々と面白い発見がありました。 自分自身を見直してみると、読むときと書くときでは基準が全く異なっており、まさにダブルスタンダードになっている部分もあることに気がつきました。

最も身近なブログ読者のサンプルは自分自身でした。 まあ、そのサンプルが外れ値にあるのかどうかなどを考慮する必要もありそうですが、読者の気持ちを著者がわからず、著者の気持ちを読者がわからないという点を自分自身の中ですら発見できたというのが非常に興味深かったです。

6. 読者の側も著者に認識されていることが認識できない

ソーシャルブックマークや、私のブログに対する言及をされた方を私が認識しているかどうかは、相手側にはわかりません。 例えば、はてなブックマークで良く見るあの人やあの人、あのニュースサイトの方や、あのブログの方という感じです。 結局、認識されている側の本人は認識されていることを認識できないシステムと言えるのではないでしょうか。

目立つコメントを書いていれば良いというわけではありません。 コメントを書くわけでもなく、ソーシャルブックマークをするわけでもないけれど、存在を私が認識しているユーザという存在もあります。 例えば、記事をアップしてかなり早い段階でいつものように特定のブラウザを使って閲覧されている方(ロボットかも知れませんが)や、非常に珍しいUserAgentで来られる方などです。

ソーシャルブックマークで言えば、最近はてブでほとんど喋らないことで有名なid:Ubuntuさんのような目立ち方もあります。 何故かいつもブックマークを素早く行っているけど、恐らくロボットではなく中に人はいそうだという独特の雰囲気を「文字を使わずに」表現しています。 そこには、ある種のアートを感じることもあります。 しかし、恐らくid:Ubuntuさん本人は私が彼(or 彼女?)に対しての認識を知る由もありません。 (少なくともこの文章を読むまでは)

7. オフ会で話が合うのは「つながり」があるから?

ここ1ヶ月ぐらいで3回オフ会に行きました。 それぞれ共通するのが、初対面の方々との会話が非常にスムーズに進行することです。

オンラインで名前(ハンドル名である場合が多い)を見ることが多いと、何故か「この人と話すと面白そうだ。話をしてみよう」という気分になります。 これは、恐らく勝手にこちらが「つながり」を持った気分になっているからなのだろうと思います。

もちろん、オフ会の前に相手のブログを読むなどの事前調査をしていて、話題を形成しやすいという面もありますが、そこまでして相手を理解してから行こうと、そもそも思う時点で何かの「つながり」を自分の中で形成しているのかも知れません。

8. twitterによる「つながり」

ブログ読者としての「つながり」よりも、より強く「つながっている感」をかもし出せるサービスとしてtwitterがあげられると思います。

twitterは「つぶやき」という本心に近い部分を出すことを意図したサービスです。 本当に本心を出しているかどうかは本人のみぞ知ることですし、twitterを単なるブログ更新告知ツールとしてしか使っていない人もいるので全ての事例にあてはまるわけではありませんが、twitterをちょっとした「つぶやき」として使っているように見えるユーザには勝手に親近感が湧いてきます。

twitterは、6.で書いた事象を確認できる可能性があるオンラインツールであると言えるかも知れません。 followやコメントを相手にしてみることで反応が発生すれば、その反応を見ながら相手からの認知を窺い知ることが可能な場合もあります。 なお、反応が発生しないという反応もありえますが、これは単にタイムラインに埋もれているだけだったり、ユーザ設定によって届いていないという可能性もあるのでご注意下さい。

9.「つながり」を認識することの怖さ

書き手側の心理に戻った時、「つながり」の可能性を恐怖に思えるときもあります。 文章で表現している自分は自分ではありますが、自分では無い部分も多分に含んでいます。

文章では声のトーンや、間などによる全体的な個人としての雰囲気は伝わりません。 また、文章は推敲が可能なので話すときよりも練られていることが多いです。 いわば、社交辞令オンパレードな「表の顔」でしかありません。 もちろん、社交辞令とは逆に、特定のオンライン人格が攻撃的である場合もあります。

その「表の顔」に対する「つながり」が形成されたかも知れない方々がどれぐらいいるのか?という疑問と共に、RSSリーダー登録数やPVを見ると、急にビルの間に縄を張って綱渡りをしている自分を想像するときがあります。 綱渡りではなく、細い崖の上を通過しているようなイメージでも良いかも知れません。 そして、そのビル(もしくは崖)の高さは読者数が増えれば増えるほど高くなるのだと思います。

まあ、あまりにビビリ過ぎて何も書けなくなってしまうというのも問題なので、ここら辺はある程度割り切るしかないのだろうとは思います。

最後に

言われれば当たり前な事ですが「ブログとつながり」という概念を見直してみて、色々と新しい発見がありました。 私はブロガーであると共に、ブログ読者でもあります。 書くときの自分と読むときの自分という風に立場が変わったときの二面性を意識したことはありませんでしたが、今後は「書いている時の自分」と「読んでいるときの自分」を意識してしまうこともありそうです。 自分の主観の範囲内で、自分自身を客観的に観察してみるのも面白そうです。

「つながり」はすぐに形成されるものではなく、時間と共に徐々に出来上がってくるものだと思います。 また、人によって「つながり」が形成されたりされなかったり、どこに対して共感や親近感を持っているかという点はバリエーションに富んでいそうです。 「ブログとは何か?」「つながりとは何か?」などを、掘り下げて調べてみるのも楽しいのかも知れませんね。

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