つながりとクラスタと疎外感

2008/10/17-1

先日、「ブログと「つながり」」という記事を書きましたが、実は「つながり」というキーワードは既にここ数年のテーマだったということがわかりました。 例えば、SNS(mixi,gree,facebook,orkutその他)、twitter、ソーシャルブックマークなどは全て「つながり」を技術的に表現したものです。

人と人の「つながり」を表現したものがSNSです。 人と人との「つながり」を円滑化するのがtwitterです。 ソーシャルブックマークは、情報と情報の「つながり」を発見できるかも知れない仕組みでもあります。

このように、「つながり」をオフラインからオンライン化したり、Web技術によって生成を支援したり、隠れた「つながり」を掘り起こしたりすることが最近の流行と言えそうです。

クラスタ

人と人とのつながりを集合/収束させていくと、クラスタが出来上がります。 Web2.0的なサービス上でのクラスタは、似たような趣味や話題の人が集合しやすいため、非常に居心地が良い場所である事が多いです。

自分に合うクラスタを発見し、その中に参加できれば、リアルで会った事が無い人との会話を楽しむことも可能です。 このようなクラスタ内にいる人々は、クラスタ内での「つながり」を強固なものへと成長させていけます。

疎外感

クラスタによって構成されるコミュニティは、そこに参加している人にとっては居心地の良い場所です。 しかし、そのクラスタに入っていない人に対しては、非常に冷たく排他的である場合があります。

また、twitterのような公開されたサービス上で表現されるクラスタは、公開されているようでいて、無言の排他性を持つことがあります。 新規参加者には、多少入りにくい空気があるのかも知れません。

そのように、新規参加者が躊躇するような状況がある一方で、クラスタ内に既に入っている人々は楽しそうに会話をしている場合があります。 このとき、疎外感を感じてしまうユーザもいると思われます。

この疎外感は、恐らく「つながり」が強固になったクラスタが出来上がって、かつ、それが可視化されることによって発生しています。 今までは水面下に潜っていたクラスタが表面化したことによる「疎外感」なのかもしれません。

最初は疎外感を感じていたとしても、何らかのきっかけでクラスタ内にもぐりこめれば、すぐにクラスタの一員になれる場合もあります。 しかし、その一歩が踏み出せなかったり、踏み出しても失敗してしまった場合の疎外感は非常に大きなものになる場合もあります。

疎外感を解消させる何かが必要ではないか

このような「疎外感」に対して「自己責任」と突き放すのは簡単です。 しかし、このような疎外感を感じさせなかったり、疎外感を感じている人を上手にクラスタ(コミュニティ)に参加させたり、その人に合うクラスタを自動的に発見したりできるような仕組みがあれば、面白いのかもしれません。

まあ、これをクラスタではなく、男女という見方をしてしまうと出会い系システムになってしまいそうですが、どちらにせよ疎外感を解消させるような何かがあれば面白そうだなぁと思った今日この頃です。

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