けものみち考

2007/12/19

私は「Web時代をゆく」で語られている「けものみち」を進もうとしています。 最近は、不安と期待が織り交ざった非常に複雑な心境になっていますが、色々考えるうちに「けものみち」とは他人が見てもうらやましくとも何とも無いものである事が当たり前であると思い始めました。

以前、テレビで放映されていたバラエティ番組でボディビルディングの選手の生活が紹介されていました。 毎日の食事は、豆腐と鳥ササミとブロッコリー(メニューの内容は、うろ覚えなのであまり正確ではないです)。 日焼けとキントレばかりを毎日行い、大会に備えるという生活でした。

全然うらやましくなかったし、やりたいと思いませんでした。 番組中でも「うわ!何これ!」的な反応をされて見世物にされていたようなイメージを持ちました。

別の番組では、ハンマー投げ選手(室伏選手だったと思います)の毎日を扱ったものがありました。 毎日のようにハンマーを投げる練習をしていました。 そして、記録が伸びるか伸びないかというところで全力で悩んでいました。 自分には絶対に出来ないと思いました。

このような方々は、それぞれ「けものみち」を切り開きながら進んでいる方々であると思います。 その業界では非常に尊敬されつつも、多くの人は同様の生活を送りたいと思わないタイプの生活形態であると思われます。 既に結果を出していて、テレビや雑誌などで取り上げられるレベルの人は良いのですが、同じような生活をしつつ頑張っているけどまだ無名である場合は余計「そのような生活をしたくない」と思われてしまうのではないでしょうか。

「結果/成果」というのは、すぐに出ない場合が多いと思われます。 「けものみち」のつらいところは、誰が見ても「結果」であると認められるような「結果」がなければ、誰も理解してくれないところなのではないか?と思います。

「けものみち」を進んでいる人は、知人にやろうと思う事を語ると「それって意味あるの?」という考えが顔に出てるなぁと感じる事が多いのではないかと思われます。 私自身も他人にそのような仕打ちをしてしまった事があると反省しています。

そのため、「けものみち」を進む人は自分に自信を持ち、やれる間はあきらめないという強い心が要求されるのかも知れません。 ただ、その「けものみち」が美しい山頂に向かっているのか、破滅の谷間に向かっているのかを自分自身で見極めなければならないと思われます。 「いや、やるんだ!」と言いつつ、後戻りが出来ないところまで失敗してしまう危険を回避するというのも非常に重要だと思われます。

状況を難しくするのは、多くの第三者は始める前から「破滅の谷間に向かってるんじゃね?」と思っているように感じてしまうことかも知れません。 自分の考えに自信を持ちつつも、多くの人の否定的な意見を聞き過ぎると、本当に参考になる否定的な意見に耳を貸せなくなってしまう可能性があります。

多くの人にとって「けものみち」が全く魅力の無いものであるわけではありません。 樹海の中の「けものみち」を抜け切って山頂に到達した人が語る美しい風景は多くの人を魅了すると思われます。 しかし、多くの人は山頂の景色を求めているのであって、山頂の景色を語る人が辿ってきた困難を同じように辿る事は歓迎しないと思われます。 人によっては、輝かしい山頂だけが目に入り、困難な「けものみち時代」の存在を無視(否定)するかも知れません。 そして、山頂の風景を見たい人が多くなってくると、誰かが開いた「けものみち」が舗装されて行き、道路になり、道路が高速道路に成長していきます。

後の時代になって絶賛されるかも知れないが、苦労している時期には「変人」と見える場合が多いのが「けものみち」なのではないかと思う今日この頃です。 そして、私はこれから「けものみち」を進もうとしています。 さて、どうなるのでしょうかね。。。

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